データバンク2>談合関係:山本正明氏の証言


071102 山本正明氏

山本氏は関西ゼネコン業界において、業界のドン、天皇と揶揄された大林組の人物。
この方の証言をお聞きしていますと、談合が役所の意志を超えて行われていた実態が理解できます。
本人の公判をメモや調査を元に極力正確に再現を試みました。(敬称略)



平成19年(わ)第3456号  第3回公判

被告人 山本正明(出頭)

被告事件名 談合
公判をした日 平成19年11月2日 大阪地方裁判所第3刑事部

裁判長裁判官 樋口裕晃  
裁判官    橋本 健
裁判官    能宗美和

検察官    奥谷千織 三谷真貴子
弁護人    加納駿亮(主任)本多重夫 濱田剛史

弁 護 人 (濱田) 今回起訴された事実ですが、内容間違いありませんね。

被告人(山本) はい、ありません。

弁 今回の事件を起こしたことについて、あなたは今どういうお気持ちですか。

被 談合決別宣言をした平成17年の12月末までの間、長いこと違法な談合行為をやってたということにつきまして、深く反省いたしております。

弁 まず今回の事件について若干補足的にお伺いしますけども、あなたの供述調書によりますと、大林組に入社したのは昭和36年4月で、その後、いわゆる業務担当と呼ばれる談合担当の部署に配属されたのが、昭和58年4月ころということですね。

被 はい、4月1日です。

弁 あなたが業務担当に配属されたころには、既に今回の事件当時とほぽ同様の談合の仕組みというのはあったんですか。

被 はい、ございました。

弁 これも刑事記録によりますと、関西の建築業界では、大林組や竹中工務店をリーダー格とするゼネコン業者による談合組織が出来上がっていて、その中で公共工事の受注調整を行っていたというふうにありますが、あなたが業務担当になったころは、既にそういう仕組みが出来上がっていたと聞いてよろしいですか。

被 はい、そのとおりです

弁 その談合組織の中で、建築関係の公共工事の受注に関する業者間の裁定役を半年交替でしていたのが、大林組を中心とする企業のグループと、竹中工務店を中心とする企業のグループということですか。

被 はい、そのとおりです。

弁 この裁定という意味なんですけども、大林組を中心とする企業のグループ、又は竹中工務店を中心とする企業のグループが、個々の公共工事について、その受注業者を指名するということなんですか。

被 いや、それは違います。

弁 調書によりますと、受注を希望する業者同士で調整がつかない場合に、大林グループ所属の会社、又は竹中工務店グループ所属の会社の業務担当が合議して、裁定して受注業者が決まるというふうにありますけれども、それはそのとおりですか。

被 はい、そのとおりです。

弁 そうすると、原則としては業者間の話合いであって、最初から大林組グループ、竹中工務店グループの業務担当が、積極的、能動的に関与して受注業者を決めるというわけではないわけですね。

被 はい、そうです

弁 ところで、記録によりますと、あなたはこの組織の中で、業界のドンとか天皇とか呼ばれていたという記載も見受けられるんですが、それはあなたとしてはどう思っておられますか。そのとおりなんですか。

被 ドンということを言っておる人間がおるということは聞いたことがございますけど、天皇という言葉で言われたということは記憶にございません。

弁 ドンというふうにもし呼ばれていたとすれば、どういうことでそういうふうに呼ばれていたというふうに思われますか。心当たりというのはありますか。

被 特に僕に権限が集中してたということはございませんでしたけど、先ほどの調整、裁定役をやるグループが2グループあるわけですけど、その2グループを合わせた会合というのが時々あるわけです。そういうときに僕が主導的な発言をしてたということで、全体の代表とまではいかないまでも、ややそれに近い存在であったという意味で、ドンと言われるようになったんかなと思っております。

弁 そういう印象を持ったのかもしれないと、こういうことですね。

被 はい。

弁 でも、実際にはあなたがそういったいわゆるドンということで指示なり何なりをしていると、そういうふうな事情はなかったわけですね。

被 ええ、全くありません。

弁 そもそもこういう大林組を中心とする企業グループと竹中工務店を中心とする企業グループが、交替でこういう裁定役というふうなことをするようになったいきさつなんですげども、それはどういうことか聞いたことありますか。

被 このシステムは、僕が58年の4月に入ったときは、もう既に出来上がっておりましたけど、建設業界において大林組と竹中工務店は,御存じかと思いますけど、超大手5社の中の2社でございます。超大手の5社というのは、建設業界の中では独特の地位を持ってまして、その超大手5社の中の関西に本拠地を持っておるのが大林組と、竹中工務店だったということで、大林組と竹中工務店が主導権を持って談合を主導しておったといいますか、やっておったということから、業者間の調整がつかないときも、その裁定役を竹中グループと大林グループとで裁定をやってたと。グループの長を、大林グループは私、竹中工務店のほうは竹中の業務担当者がやったと、こういうことでございます。

弁 あなたは、この談合組織の中で長年にわたってこのような調整役、裁定役の1人であったということについて、日ごろ疑問に思うことはなかったですか。

被 本来、自由競争をやるべきところを談合ということで、自由競争の阻害をやっておるということでございますので、こういうことをいつまで続けておれるのかなと。いつかやめないかんのじゃないかなという気はいたしておりました。

弁 日ごろそういう気持ちはあったわけですか。

被 はい。

弁 にもかかわらず、業界が談合決別宣言をした平成17午12月末までこういった談合を続けてきたという、その理由はどういうところにありますか。

被 僕が入ったときは昭和58年の4月ですけど、そのころから既にがっちりした組織が出来上がっておる、その組織の中で会社の担当者として任命されたわけですから、精一杯頑張って会社のためにやらないかんなということで頑張っておる。だんだん力が付いた、10年ほどたってみましたら、ちょっと問題だなという気がしてきても、今更自分からやめようとか言うような雰囲気には到底なってなかったというのが実情でございます。

弁 あなた個人の力だけではいかんともしがたかったというところですか。

被 はい,そうです。

弁 今おっしゃったように、会社の人事として業務担当の部署に配置されていったわけで、あなたとすれば、その職務の担当を命じられた以上、その職務を忠実に実行してきたと、こういうことですね。

被 はい、そうです。

弁 平成17年12月末に大林組を含む大手ゼネコンによる談合決別宣言が出たわけですが、その後は一切談合していませんか。

被 はい、一切しておりません。

弁 そうすると、あなたの業務というのはどうなったんですか。

被 平成18年の1月4日からはもう業務担当を完全に外れまして、それから1か月ぐらい後にはもう部下も全部外されまして、僕の業務担当としての仕事は、もう完全に1月4日からなくなっております。

弁 談合決別宣言が出てあなたとしてはどういう気持ちでしたか。

被 もうこれで違法行為しなくて済むということで、やれやれ終わったかという気でほっといたしました。

弁 例えば、知人とか友人から何か言われたということありますか。

被 もう何かほっとしたらしいなと。顔つきが変わってきたよと言われました。もう数人から言われました。

弁 それは被告人自身も自覚していましたか。言われて驚きましたか。

被 いや、やっぱり緊張感が解けたのかなと思いました。

弁 ところで今回の事件なんですが、あなたの調書によりますと、本件の枚方清掃工場建築工事については、平成7年11月ころに、既に大林組がこの工事を将来受注するについて有利な条件を整えていたと、こういうふうにあるんですが、それはそのとおりなんですか。

被 はい、そうです。

弁 調書によりますと、西谷氏からの提案で、本件工場の建設予定地の隣地を大林組が賃借することができたということですね。

被 はい、そうです。

弁 約4年間、借りていたということですか。

被 はい、4年です。

弁 この隣地を借りたことで、選手、すなわちこの案件の工事の受注業者に大林組がなれる条件のうち、立地という条件を得たというふうに記載があるんですが、これはかなり有力な条件なんでしょぅか。

被 はい。

弁 この条件を得たことで、業界内でほどういう扱いになるんですか。

被 立地条件を持ったということで、いわゆるアドバルーンと申しまして、これは大林組がこういうことを、隣地を確保したということで足掛かりを得たよという意思表示を業界にするわけです。そしたら、ああ、大林組が一歩先行したかというのを業界が認識するわけです。
そしたら、もうこれ大林組に勝てんかなと思えば、よその業者は営業の度合いが薄れると。こういう意味で、大林組が受注するのに一歩先んじたという認識をしてたということでございます。


弁 あなたの調書によりますと、平成11年に森井繁夫さんに対して、大林がこの隣地を借地していて、業界ではこの工事は大林のものになっているというふうに話したというふうにあるんですが、それまで森井さんは、この隣地の賃借の事実は知らなかったんですか。

被 はい、知らなかったようです。

弁 記録によりますと、賃貸借の期間は平成7年12月から4年間というふうになっていますけども、この平成11年だと契約期間が終わるか終わらないかというような時期になりますね。

被 はい。

弁 それまで森井さんがこの事実を知らなかったというのは、社内の連絡が随分遅いように思うんですが、営業と業務担当の連携というのはどのようになっていたのかなんですが、会社の規程か何かそういうのはあるんですか。

被 上下関係があれば部下が、当時であれば森井さんは僕より格は下でしたけど、部下じやございません。彼は営業担当、僕は業務担当という職務が別々でございますので、だから彼が僕に何か報告しなくちゃならないということにはなっておりませんし、僕も彼にそういうことになっているよということを報告する義務も規定上はなってません。ただ,チームとして一つの物件を取り組むというときは、普通は割合綿密に連絡取り合って、これはこうなってるよ、あれはこうなっているよというのを報告し合うというのが通常ですけど、この物件はいつ発注されるか全然見当がつかなかったと。11年ごろでしたら、皆目見当はついてないということでございますので、まだそういう連絡を取り合うタイミングでもなかったということで、連絡を取り合ってなかったということだと思います。

弁 案件によっては、営業と業務担当が連絡をせずに進めていくということもあり得るんですか。

被 ええ、あり得ます。営業担当者が自信があって、もうこれは業務に業界の談合だけ取りまとめてもらえば十分やれるという見込みを持った営業担当者は、業務のほうには出件と申しまして、これ、入札の公募ですね、があるまでは何も連絡ないという場合はたくさんあります。

弁 今回の本件なんですが、大林組が1回目の入札について、入札参加の見送りを決めるまでには、大林組が選手になるということで、業界内の調整がでぎていたということですか。

被 はい、できておりました。

弁 あなたとすれば、森井さんと密接に連携して、本件の工事を落札したという意識はないんですか。

被 あんまりないですね。彼が何も言うてきてませんでしたので、こちらが整えた立地条件、それから図面の手伝い、入手という十分な条件がありましたから、連絡はいっこもなくてもこちらで取れると。ただ、この物件を落札したい、だから業界でまとめてくれという意思表示があれば、もうそれでよかったわけで。

弁 業界内では早くからもう大林が選手として取ると、そういう調整ができていたということでしょうか。

被 はい、そうです。先ほど申しましたように、もう平成7年に僕は手を挙げておりましたし、その後も抜かりなく、先ほどのように図面を押さえたとか事あるごとにこれは大林が行くよという意思表示をしておりましたから、もうよその業者は、これ今更頑張っても大林に勝てるわけないという認識があったんだと思います。

弁 森井さんは、初田議員であるとか府警の平原氏から、今回の件で大林組のために尽力したというふうに言われていたようなんですが、その点についてあなたはどのように感じていましたか。

被 もう全然そういう認識は、森井が僕に、廊下で擦れ違ったときぐらいに2回ぐらい、初田先生と会ってきましたという立ち話がありました。僕はもう、ああ、そうかぐらいでしたし、彼が何をやってたかというのは一言も報告がございませんでしたし、一方、我々は僕のほうは先ほど申したように、業界上の状況は十分整えておるから、彼らが何をしたかも、また受注についてどういう貢献があったかも全然認識しておりませんでした。

弁 あなたの認識では、森井さんが初田議員や平原氏と、この工事を取るために種々活動されたことについては、実際のところ余り効果がなかったというような、そういう認識でしょうか。

被 少なくとも業界調整上では、何にも役に立っておりません。

弁 ところで、1回目の入札で大林組は参加を見送ったんですが、この点についてあなたの関与なんですが、何かアドバイスみたいなことはされましたか。

被 はい。出たときに、部下を通して間接的にですけど、うちの見積りが六十数億で、市のほうの予算がたしか40億切るぐらいだという話を聞きましたので、もうそんなあほな物件やめたらどうやというのを、部下を通して森井の部隊に言わした覚えがあります。

弁 あなたとしては、採算割れをしてまで無理にこの工事を取ることはないと、そういうふうな考えだったんですか。

被 そうです。取っても赤字をしょい込むだけですから、見送ったほうがいいと。

弁 選手である大林組が参加を見送った場合、他の業者が応札する可能性というのはあったんですか。

被 十分あります。うちは見送ったよと。これは選手になりたいと言うとったけど、もう予算が足りないから、取る気がないからどうぞという話は部下を通してさせました。

弁 他の業者が取れないというルールはないんですね。

被 ルール上、ありません。ただ実際問題、大林組が、自分らも大体見当がつくでしょうけど、六十数億もかかるものが40億切るなんて話聞けば、営業もろくろくしてなかった会社が、ほんなら大林組が見送ったなら自分が行こうかというようなことには、通常はなり得ないことです。

弁 ルール上は自由だということですね。

被 はい、そうです。

弁 1回目の入札で大林が参加しないというふうに決めた際に、あなたが他の業者に入札参加を勧めるというか、打診するというか、そういったことはありましたか。部下を通してでも結構ですが。

被 部下を通してですね、うちはもう見送ったよと。予算がこんなんで、うちの見積りは大体こんなもんで、もう何ぼ何でもひどいから、うちは見送ると。ただし、皆さん行く気があるんならどうぞということで、行く気がありそうだというのを感じたのは、役所に図面を買いに行った会社が、たしか飛島とどこだったかな。

弁 戸田。

被 戸田でしたか。戸田が買いに行ったというのを聞いたので、その両社に対しては、そういう事情だから行きたけりゃ行きなさいと。見積りのタイミングが間に合わないようであれば、数量、単価が入ってないやつですね。うちが拾った、数量拾いというのが見積り期間、大変時間かかりますので、数量は、何だったら大林の数量渡してあげるよと。どうぞ行きなさいやということを言わせました。

弁 この点、あなたの部下であった鬼頭さんの調書を読みますと、もし他社が抜け駆けをして応募する業者が出たらミスになるので、他社に応募する気があるかどうかを念のため確認したというふうにあるんですが、これはどういう行為なんでしょうか。

被 よく分からないんですけど、鬼頭はまだこの業界に入ってそんなに長いことなかったということが一つ、それから、一般競争入札という制度が導入されてからも長くなかったと。その一般競争入札の予算割れというのか、予算がなくて一種の不調になるという例が非常に少ないので、業界上のルールを彼は知らなかったんだと思います。業界上のルールと申しますと、いったん選手になっても、予算が合わずに入札何回もやって不調という場合とか、だから今回みたいにあらかじめ予算を示されて、その予算に選手が到底この予算ではやれんなと思ったら降りてしまうわけですけど、どちらの場合にしろ、この2つの場合ですけど、いったん不調になったら、もう2回目の出件がもしあっても、それに選手として立候補するのはややルール違反に近いという状況になっておるわけですから、これを抜け駆けがうんぬんということは、1回目、うちが、さっき言いましたように、もう見送ったからどうぞと言っときながら抜け駆けということはあり得ないわけですから、どういうつもりで鬼頭君がそういうことを言ったのかよく分かりませんけど、多分何か一般の工事の一般競争入札の申込みと勘違いしたんじゃないかと思います。

弁 もし鬼頭さんがそういうことをしているというのであれば、ルールを知らずに、勝手にと言ったらあれなんだけども、気を利かせてやっておられたと、こういうことになるんですか。

被 はい、そうです。

弁 山本さんは、もうその鬼頭さんの行為については全然知らなかったということですね。

被 はい。

弁 もし1回目の入札が不調に終わって、2回目の入札公募が出た場合には、大林組としてはどうしようというふうに考えてたんですか。先ほどちらっとおっしゃったと思うんですが、もう大林では取る気はなかったというふうに聞いていいですか。

被 業界上のルールは、取りに行けないということでした。ただ、森井の営業の側としては、どういう事情があったのか知りませんけど、是非取りたいと、何とかならんかと、こういう話があったんです。それで僕はもう、ややルール違反だけど、業界のほうに丁重に低姿勢に、選手になることの了解が得られるかどうか頼んでみなさいということを部下に指示しました。

弁 部下というのは、業務担当の部下ですか。

被 はい、そうです。若園か鬼頭だったと思いますけど。

弁 それはそしたら他の業者にお伺いというような形なんですか。

被 そういう格好です。お伺いという格好で、低姿勢でお願いしましたら、多分さっき申したような事情で、もうこれは大林のもんやと大抵の会社は思い込んでおるから、ずっともう十何年、営業ろくろくしてないわけですね。だから、営業ろくろくしてない仕事をもう一回、焼き直しと言うんですけど、2回目が出ても、急に飛び付いてというのは、普通、大抵の業者はやらないもんですから、今回も、このたびにおいても大林さんが持っていきたいと言うんならどうぞという了解を頂いたということでございます。

弁 もし他の業者が、いや、2回目はうちが行きたいといぅことを言い出した場合はどうなってたんですか。

被 それはもう見送らざるを得んと思います。僕が森井を説得をして、これはこういうルールでこうなっておるから無理だよという話をしたと思います。

弁 もしそうなってたらということですか。

被 はい。

弁 ところで、この工事であなたばどれくらいの利益が出るというふうに考えてましたか。

被 僕は、金については一切責任も権限もございませんでした。業界上の仕事のやり取り、もらうとか譲るとかいうことをやるだけですので、この物件だけでなくてどの物件でも収支がどうだということについては首突っ込んだことがありませんので、知りませんでした。

弁 今回の談合事件なんですが、これまでの業界の悪しき慣習の一環として行われていたということですね。

被 はい。

弁 もし大林組を含む業界による談合決別宣言というものがなかったら、どうなっていたと思いますか。

被 こんな時世と申しますか、時世が時世ですので、どこかでやめないかんなと僕はもうかねがね思ってましたし、親しい何人かにはそんな話ししてましたけど、どこかの時点で、何かのきっかけでやっぱりやめたということになったと思います。

弁 もしそういうことがなかったら続くという。

被 なかったらもう数年は、やっぱり数年か、ひょっとしたら5年や10年は続いてたかもしれません。

弁 あなた個人的には、談合というのは何が悪いと思いますか。

被 入札制度というのは自由競争が原則でございますので、談合というのは選手を決めて、その自由競争を阻害しておるわけですから、それが一番悪かったんだと思います。

弁 そうしたことを長年やってきたということについては、冒頭でも述べられたと思うんですが、どういうふうに感じておられますか。

被 大変悪いことをしたと思って、深く反省いたしております。

弁 談合決別宣言の後なんですが、業務担当の仕事はもう一切やっていないということなんですが、顧間という立場で所属はしていたんですか。

被 はい、そうです。

弁 辞職するまでなんですが、会社の仕事以外も全部含めて,どういうふうに過ごされていたんですか。

被 顧間ということで、会社には原則は毎週出るということになってましたけど、1月の4日からはもうお客さんもろくろくないし、業務の仕事はなくなったわけですので、暇になりましたので月水金だけの出勤ということにしまして、会社の、例えば民間の、僕が特別人脈のあるお客さんの営業の手伝いだとか、それから一方では、かつての仲間といいますか、他社の業務担当者がいろいろと相談に来ると。と申しますのは、談合をやめたということで、談合を専門にやってた業務担当者、1月にやめたらもう早速2月、3月と、特に3月が多かったんですけども、首になるという人間がたくさんいました。そういう人たちの相談相手になってやったり、再就職先の口を利いてやったりとか、そういうふうなこともやっておりました。

弁 身の振り方の相談ということですか。

被 はい。

弁 そうすると、大林組はもう当然のこととして、業界全体が談合決別宣言を機会に、本当に談合をやめたということなんですね。

被 はい、そうです。各社皆、談合やってた人間はもう早速会社を、定年が延びてたら延長ほとんど即刻定年打切りになって退社をさしたり、それからうちみたいに定年がまだある人間には配属替えをしたり、大体談合組織そのものがもう解散を、1月の7日ですけど、僕が皆集めて解散宣告をしましたので、組織そのものがなくなっちゃってると。

弁 それで、あなた自身はこの事件を機に大林組の顧問を辞職しましたね。

被 はい。

弁 これはどういう気持ちから辞職されたんですか。

被 会社の命令といえ、こういうことを長年やってたので、一つのけじめをつけるべく、もう大林組の顧問を辞めさせていただくという決心をしたわけでございまず。

弁 被告人個人の今後のことなんですが、こういう建築業関係の仕事をすることは考えていますか。

被 いや、いません。

弁 何かほかに仕事とか、そういうことは考えておるんですか。

被 いや、もう仕事は何もしないつもりです。

弁 そうすると、今後は静かに老後を送ろうと考えているわけですね。

被 はい。老後の中で、先ほど出廷していただきました大谷先生の 「幸せを分つ会」の、僕は副会長という職は辞退しようと思ってますけど、一会員として、今度はもう体が自由になりましたので、人を動員したり金を出すというだけでなくて、自分自身もこの会の活動に参加して、罪滅ぼしの一端にでもと思っております。

弁 そうしますと、物理的にも談合に携わることはないし、お気持ちとしてもそういったことに今後は一切かかわることはないと、この法廷で誓約することはできますね。

被 はい、誓約いたします。



検 察 官 (三谷) 今回あなたの供述調書が裁判で証拠として出てるんですけれども,調書の内容については間違いないということでよろしいでしょうか。

被 はい、ほぼ問違いないです。

検 あなたは部下の方として若園さんと鬼頭さんという方がいらっしゃって,今回の事件でも関与されていたということですね。

被 はい。

検 このお二人はあなたの部下として,あなたの指示を受けてお仕事をされてると,こういうことですか。

被 一件一件で指示はほとんどしてませんけど,彼が僕の意を察してやることを僕は黙認しておりましたから,彼がやったことは僕の指示だと思われてしようがないと思ってます。

検 あなたの意に反して動くことはないと,こういうことですか。

被 ないだろうと。あっても,それは僕の責任だと思っております。

検 業務担当,業界,いわゆる談合の担当者になられたのは昭和58年4月1日からですか。

被 はい。

検 このとき,正直,なられたとき,どんなお気持ちだったんですか。

被 その内示を受けたのは1月の中旬ぐらいだと思いますけど,談合という言葉さえ知らなんで,何をする部やというような話で,よく聞くとそういう部だと。へえ,そんな部門がうちにあったんかというような,そんな感じでした。

検 10年間は会社のために必死で頑張ったということをさっきおっしゃったんですけれども,もちろんこれは自由競争に反する違法なことだなということは,日々認識されてたわけですか。

被 日々ということでもないですけど,時々は違法行為だなと思いながら,一方では組織としてそういうものがあって,会社としてそういう部門に充てられて,それから一方で,日常業務としてこの仕事をまとめてこい,大林でもらってこいとかいうようなことが,営業のほうから依頼があれば,それをこなすのがもう精一杯だったというのが実情です。

検 会社のためということですか。

被 はい。

検 会社の利益になるからということですか。

被 利益かどうかは僕は分かりませんでしたけど,会社がこの仕事を大林が取るように業界で了解取ってこいとか、そういうのが出てくるわけですね。それを同業者から了解取って,うちが選手になるということをやるわけですけど,それがもう目一杯でした。

検 10年目ころに何かちょっと心境に変化があったかのようなお話を先ほどされてたんですけれども。

被 大体僕が出たときに,つい先日まで僕がやってたような業界のリーダー的な役割をしてたのが竹中工務店の松永という人でして,その方が10年ほどそういう業界のリーダーをしてたのが亡くなったんです。で,竹中工務店のリーダーが亡くなれば,次は大林のリーダーだということになるわけですので,そういう意味で僕は業界のリーダー的な役にならないかんのだなという立場になると,これはこういうことをやってて本当にいいのかなとか,この組織どこまで続くんかなとか,そういうことをいろいろ考えだしたと。それまではもう大林のための談合行為だけで必死だったと,こういうことです。

検 10年目というと,平成4年ころですか。

被 そうですね,そのころかもしれません。ちょっとはっきり。

検 そう思われて,何か行動を起こそうという気にはならなかったのは,どうしてなんですか。

被 さっきもちょっと言いましたけど,調整をするグループということで,この組織の中には常任委員というのがいまして,全部で十四,五人おるんですけど,大事なことはこの十四,五人の中の多数決になるんです。そうすると,やめようかということを決めるためには十四,五人の中の過半数を得るという確かな見通しがなきゃできないわけです。確かな見通しもなく掛けて否決されると,えらい差別というか,虐待を受けるという懸念があるわけです。ですから,それとなく本当に味方になりそうな人間というのに何人かは話したことあるけど,そんなんでも,山本さん,そんなこと言わんほうがええよと,ひどいことになるよというような話で,なかなか口に出してとか,そういう会議に掛けてということには到底ならなんだです。

検 大林組社内で,あなたとして,こういうことを続けるのはやめたほうがよいと声を上げるということはできませんでしたか。

被 それも同じくですね。会社としては,もうこれはなくてはならぬ部門の一つだということで位置付けされておりましたので,僕がそういうことを言い出すような,そういう立場にはございませんでした。

検 いわゆる社風がそれを許さないということですか。

被 社風というか,大林組だけじゃなくて,すべてのゼネコンが同じようなことでございますけど,確かに大林組としてもそういう雰囲気じゃなかったです。

検 では,もうあなたとして思い切って辞めてしまうと,こういう選択はとれないですか。

被 会社をですか。

検 はい。

被 それは家族もいますし,自分のあれもございますから,会社を辞めるという気には一遍もなりませんでした。

検 談合決別宣言は平成18年の1月だということなんですが,それまでにやめようという例えば気運とか会社の社内での動きとかはあったんですか。

被 談合決別宣言というのは,会社としてやったのは,その前の年の12月の二十何日,24日か25日だったと思います。我々にやめろと言ってきたのはその数日後,それからさっき僕が言った決別宣言というのは,そういうやめろという指示が各々大手5社の本社から各本支店の談合担当者に指示が行って,大阪でも大手5社の談合担当者に指示が行って,もう早速一切の業者と会わないということをみんなが言い出したわけです,5社の連中が。たまたま1月の7日に新年互礼会をやろうということになって,それにさえだれも出ないというので,それはだれも出なくてやめたよじゃ幾ら何でもひどいぞということで僕だけ出まして,僕はこうこうこうで誠にあれだけど,皆さんにとっては不本意かもしらんけど,我々は,もう5社はやめましたよということを,それからあなた方ももうやめたほうがいいんと違うかということが,僕がきっき言いました決別宣言という意味でございます。

検 つまり,それはどこかから指示があって,トップダウン的にやめるということになったということですか。

被 そうです。12月の23日か24日ごろに,大手5社の社長会をやっておるんです。その社長会で最終的にやめたという決定をして,それでその社長会の決定を,指示が来たのが年内でした。25日か26日か27日かそのくらい,27日が仕事納めですから,仕事納めの前,多分25か26だったと思います。やめなさいという指示が来た。

検 お聞きになったときの印象というか,感想はどういうものだったんですか。

被 やっぱりそうかと。やっと談合をやめる気になったんだなと。

検 あなたとしては今までやってきたことを突然否定されたと,こういうことについて,何か腹立たしさとかなかったんですか。

被 それはなかったです。ただ,腹立たしさより,その終息の手続と申しますか,急にやめることによる混乱をどうやって収めるかなということのほうがちょっと頭が痛かったですね。

検 今回の枚方の清掃工場の工事についての事件について伺うんですが,森井さんたち営業部門と,それからあなた方の業務担当部門とで,それぞれ役割分担的に行っていたと,こう考えてよろしいんでしょうかね。

被 そうです。もうまるまる別ですから。

検 森井さんたちの行為が業界調整上,役に立ってないんだというようなことを先ほどお話しされたんですけれども,これはどういうことなんですか。

被 業界で仕事をもらうためには,さっきちょっと申しましたように,立地条件と言いまして,隣接の土地を借りるだとか買うだとかして,そこに何か建物を建てるとか看板を上げるとかいうようなのも一つの有力な条件ですし,それから設計事務所と接触をして,設計事務所から設計図書を手に入れて,あらかじめ数量計算をしておくとか,それからもっと理想を言えぱ,図面の手伝いそのものをすると。
今回につきましては,石本設計の図面の手伝いそのものをしておるわけですね。ですから,業界上の談合の条件というのが,もうほとんどオールマイティーみたいなものがそろっておるわけです。そういう意味で森井が何をしようと全然関係ないし,我々はこの仕事を大林が取りたいということであれば,いつでも取れるという状態に我々が仕上げておったという意味です。


検 業務担当として,そういうふうな認識を持ってるということですか。

被 はい,そうです。

検 今回,枚方市の市長であるとか市議であるとか,被告人の名前挙がっているのはもちろん御存じということですね。

被 市長がおるということは知ってますけど,だれがやっとるかなんて聞いたこともありませんでした。

検 具体的に何をどうしたか御存じないとしても,そのへんに働き掛けると,こういう営業活動を森井さんたちがしているんだということも御存じなかったですか。

被 それが全然認識がないんです。

検 認識はなくとも,それは何か影響力というのはないんですか,談合において。

被 一般論でございますけど,市長に働き掛けて,いわゆる業界調整の段階で天の声を出すということはあるんです。天の声というのは,劣勢なとこが,A社とB社が各々この仕事を取りたいと言ったときに,この例で言えば,大林が取りたいというよりほかに,もう1社か2社,取りたいのがおったら,その間で話合いするわけです。その話合いをする段階で,業界の一般のルール上,優位に立ってる大林なら大林に対して,劣勢のほうが,いや,大林さん,そういう業界上の条件があるかもしれんけど,これは天の声出るんだと。天の声聞いてくれと,こういう話になれば,これは天の声を聞いて,本当に市長が例えば別のB社にこの仕事を出してやってくれと言われたら,うちは引き下がらざるを得ないと,こういう状態です。今回の場合で言えば,さっき言いましたようなことで,天の声もへちまもないわけですから,そういう営業は森井たちがしてたとは到底思いません。

検 1回目の入札が不調になった後,2回目の入札までの間に,価格等が変わったということがあった,これは一応御存じだったということですね。

被 結果を知ってました。

検 その過程が,どういうことがあったかというのは,これは御存じない。

被 全然聞いてません。

検 今回の事件について,御家族の方は何とおっしゃってますか。

被 それは大変嘆き悲しんでます。もう前々からやめろやめろと言われてましたし,それで僕は70になったら引退さしてもらうから,それまで我慢せえということでやっておって,70過ぎたときに,もう約束違反だと,えらいなじられました。ですから顧問になったときも,70までということでやったんですけど,切りが悪いから2年やってくれということで2年やってたと,こういうことです。

検 枚方市の市長の方等に森井さんが接触をしているという,この話自体は聞いていたんですか。

被 いや。それは何か森井君の調書によると,11年か何かにミナミのどことかで会合して,そのときに山本の力で今後枚方市の仕事を自分らの意向のとおりに仕切ってくれたら,この焼却場の仕事は大林が取ってもいいということを市長から言われたというような,そういう会話があったと。その会話を翌日,山本にしたというような,何かそういうことがあるよというのは検事さんから言われたんですけど,僕は全く覚えがないんです。
ただ,森井がそんなこと言うてるなら,ひょっとしたら忘れてたんかなという気がするんですけど,現実の問題として,今言ったような交換条件的な話であるんなら,枚方市の仕事,その後,じゃ,一杯仕事出ておるわけですけど,市長からにしろ初田さんからにしろ,これをどこに取らしてやってくれなんて僕に一言もあったことはないです。
ですから,僕は,森井が何かの勘違いか,僕が忘れてて,もう全然そういうのは,さっき言いましたように,これはもう完全に大林の中に入っておると思ってたものだから,そんなもの関係あるかと思って聞き流してしまって忘れておったのか,ちょっとどっちか分からないです。


検 個々の談合等で受注した場合の利益については,数字のことは分からないとおっしゃってましたけれども,談合すれば自由競争で行うよりも利益が出るという,こういう認識はあったということですか。

被 利益が出るとか赤字の幅が小さくなるとか,要するに,自由競争よりは上で落札できるというのはありました。

検 先ほど,御家族からやめろやめろと言われてたというお話があったんですが,御家族はあなたのいわゆる仕事の内容ですね,御存じだったんですか。

被 ええ。もうそれは脅迫電話がかかったり,街宣車が回ってきたり,いろいろなことがありましたから,あんた,何しとるのという話は,僕がこの部署に入って数箇月後ぐらいから始まって,いろいろありましたので,それはもう,実は今度こういう仕事をやらされてるんだという話はしましたから,よく知ってました。



裁 判 官 (橋本) あなた自身が枚方市の中司市長とか小堀副市長とか,あるいは市議会議員の初田議員とか,そういった人たちと本件に関して会ったり話したりしたことというのは,全然ないということなんですか。

被 初田さんの名前は聞きましたけど,あとのお二人の方は,名前さえ知りませんでした。

裁 それから平原さんという警察官が出てきまずけど,その人と会ったり話したりは。

被 もう全然,それも名前も聞いたことありません。

裁 あなたの話だと,大林組が落札することは,もうあなた方の調整で大体決まったようなものであったと,そういうふうなことをおっしゃってるわけですかね。

被 そうです。

裁 そういう意味では,あなたがそういう談合にかかわったことは間違いない。

被 はい,間違いないです。

裁 それはそういう説明になるわけですか。

被 はい。

裁 その中で,受注額の情報とかは,やはり森井さんから流してもらっていたわけですか。

被 いや。森井さんからじかでなくて,僕は部下から聞いたんです。

裁 あなたはね。

被 僕は。部下がだれから聞いたのかは,多分森井君の部下から聞いたんだと思いますけど。

裁 森井さん,若しくはその関係の人たちから情報は得ていたと。

被 はい。

裁 やっぱりその情報がその談合をするに当たって必要な情報であることは,間違いないわけですよね。

被 いや,あんまり関係ないです。要するに,社内的なシステムでいきますと,営業部門がこの仕事を取りたいか取りたくないかというのをまず決心しなくちゃいけないんです。
で,予算があるからとか,何とか取りたいということであれば,取りたいということで我々のところにこの仕事をまとめてくれと。
まとめるということは,同業他社と話をつけて,大林が選手になるようにしてくださいという依頼が来るわけです。だから取りたいという意思決定をするのは森井班ですから,その森井班が,今回みたいに赤字でも取るというのか,赤字だからやめたというのか,それは森井班が決めることですから僕らはタッチしない。
ただ,時々というか,結果的に,社内ですから,見積りが何ぼに対して,予算は近ごろは,特にこの物件なんかもそうですけど,最高価格何ぼって,あらかじめ知らされますよね。発表があるわけです。だから割合,この価格に対してうちの見積りは何ぼだったんかというのは自然に耳に入ってきます。


裁 あなたの話をまとめると,余りそういう情報の授受というのは,それほど重要ではないということなんですか。

被 そうです。

裁 ただ,もらろん森井グループのそういう依頼があるからこそやるんだと,そういう関係にあることは間違いないわけですね。

被 はい,そうです。



裁 判 長(樋口) 第1回目の入札の応札を大林組が断念するに当たって,これに応じる社がなければ,更に予定価格が引き上がるだろうという見込みの下に取りやめだと,そういうふうな事情はなかったんでしょうか。

被 ちょっと分からないです。ただ,やめても,普通の場合は業者を入れ替えるんですね。2回目のチヤンスが大林にあるかないかは,ほとんどない可能性のほうが強いんです。

裁判長 大林組は随分昔からこの清掃工場の工事を取ろうと思って活動していたようですけれども,そんなに簡単にあきらめられるんでしょうか。かなり大きな工事だと思いますが。

被 20億も30億も赤だといったら,もうあきらめます。

裁判長 そのあたり,どういう事情で応札を取りやめたかという社内的な事情は,業務担当のほうには十分連絡が行ってなかったと,こういうことでしょうか。

被 僕はもうやめたらどうやと言ったぐらいですから,それでやめたというから,そうかいうことで,もう業者にフリー宣言と言うんですけど,うちがもうやめたよということを言いなさいということで言わしたわけですから。

裁判長 そのあたりの詳しい事情,第1回目の応札に応じなかった事情,あるいは各社の動向を探ったかどうかというような事情というのは,営業の方で活動していて,あなたのほうはよく分からなかったと,こういうことでしょうか。

被(うなずく)


 以上。


(参考)
大手5社とは、鹿島、清水、大林、大成、竹中
準大手10社とは、熊谷、戸田、飛島、フジタ、五洋、西松、東急、三井、前田、間






データバンク2>談合関係:山本正明氏の証言