データバンク2>初田氏 弁論要旨 09.2.2



今年(H21)、2月2日に行われた初田氏の「論告・弁論」の「弁論」が、なかなか優れていたように思いますので正確にまとめてみました。

まとめた理由は、この事件では、小堀前副市長(H21.4.27完全無罪判決、5.11無罪確定)は元々事件に関与されていませんので裁判資料の精査は参考程度となります。今後、必要とあればアップも検討します。

中司前市長は猶予付き有罪判決(H21.4.28)となられたものの直ちに控訴されました。第1回の公判から事件関与を全面的に否定され、談合に共謀したとされる検察側の証言証拠も非常に曖昧な部分が多く、また金銭授受もないため、この事件を背景からより深く理解するためには適切でないようにも思います。

初田前府議(元市議)は、談合事件とは関係ないと主張されていても金銭授受がありました。その為、世間的にも厳しい反応(批判)がありました(H21.4.28猶予なし有罪判決)。
もっとも困難で厳しい状況となられた初田氏の裁判記録には、事件背景から実際まで真実性(真相)が色濃く感じられます。

大林組の山本氏とO元議員の記録をお読みになった上で、この記録をお読みいただくと、枚方市側3名に対しての検察主張が正しく的を射ていないのが理解できます。

是非とも3点セットでご熟読いただきたいと思います。
この3点セットの中身は、私が2年間にわたり独自調査した記録と符合する事実が多数あります。
願わくば今回で「私の談合事件に対する仕事」が終了することを望んでいます。

何度も申し上げてきましたが、私の結論は、
小堀氏の談合容疑は無実無罪。
中司氏の談合容疑はグレーと誤解を受ける部分はあったものの逮捕、起訴にはあたらない。=無罪。
初田氏の談合容疑については中司氏と同じ。したがって収賄容疑については罪状が違う。(大林組からの金銭授受で、他の罪状で審理すべき=有罪の可能性あり)
というものでありました。(09.05.13アップ)



平成21年2月2日 弁論要旨(敬称略)

談合、収賄被告事件
被告人 初田豊三郎

被告人弁護人
弁護士  秋田真志(主任)
弁護士  有馬純也
弁護士  佐藤正子


    目次

第1 はじめに

第2 本件の事実関係

第3 主要証人の証言の信用性

1 平原証言の信用性について
(1)平原証言の概要について
(2)平原の立場と大林の関係
(3)大乃やをめぐる異常な森井呼びつけと偽証
(4)その他の平原供述の不自然さ

ア 第1回目の会合時の小堀副市長の存在
イ 被告人の渡航との不整合

(5)小括

2 森井証言の信用性

(1)森井証言の概要

(2)森井の証人としての立場

(3)設計の分離について

(4)メトロ会談

ア 森井の供述
イ 森井供述の不自然さ
ウ 客観的状況との不整合性

(5)平成17年7月の被告人とのやりとり

(5)議会承認

(7)小括

3 被告人の公判供述の信用性

第4 被告人の検察官調書の信用性の不存在

1 利益誘導、脅迫などが行われていること
2 勾留質問調書と検察官調書との間の変遷
3 検察官調書の変遷
4 平成19年7月8日の調書の不自然性

第5 個別争点について

1 メトロ会談
2 資料提供
3 本体の分離発注の依頼

ア 森井供述
イ 検察官のストーリーは立証されていない
ウ 本体の分離に関するやりとりの実体

4 設計の分離
5 予定価格等の聞き出しについて
6 予算増額について
(1)第1回公告の予算ないし予定価格
(2)第2回公告の予算増額について
7 談合罪の成立について
8 3000万円受領の趣旨について

第6 情状

1 犯情
2 被告人の反省について
3 贖罪寄付について
4 再犯可能性について
5 その他、前科、身体拘束
6 まとめ


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第1 はじめに

被告人は、事前に大林組が本件工事に入札することを聞かされていた。大林組が受注するであろうことも知っていた。そして、大林組に資金援助を要請し、3000万円を受領した。いずれも、被告人が認める事実であり、紛れもない事実である。

被告人の行為が、政治家としておよそ許されないことも事実である。もとより被告人も、その非を認め、深く反省している。

しかし、そのことは決して、被告人が、談合の謀議をしたことを意味しない。大林組に対して、検察官の主張するような便宜を図ったことをも意味しない。被告人には談合罪、収賄罪は成立しないのである。

この点、検察官は、あたかも被告人が、中司市長や平原だけではなく、小堀副市長まで巻き込んで、大林組の談合に向けて、分離発注の便宜を図り、設計分離の便宜を図り、さらには予定価格の聞き出しや予算の増額をめぐって便宜を図ったかのような主張をしている。

とんでもない話である。これらの主張は、検察官が主に平原の供述をもとに作り出したストーリーである。
特に、被告人を取り調べた山本真千子検察官は、被告人の記憶が暖昧であることを利用して、自らが 「自信作」などと呼ぶストーリーを描き出し、被告人に押しつけようとした。
被告人が押しつけに抵抗するや、取調べを「大荒れの海」にたとえ、「私があなたにとって一番いい道を導く」などと言ったのである。検察官という立場を忘れた露骨な利益誘導というほかない。

さらに、山本検察官は、ネオン街の男女のたとえ話まで持ち出して、小堀副市長の関与を認めるかのようなストーリーが記載された調書を作文し、被告人に署名押印させた。
このような取調べは、ある意味で滑稽とすら言える。検察官は、自らのストーリーに固執し、その旨の調書を作成することが真相解明であると勘違いしていると言わざるを得ない。

いずれにしても、真実は、このような検察官のストーリーとおよそ異なる。この点を概観すれば、以下のとおりである。

メトロ会談で、中司市長と被告人が、岡市議員の暗躍を阻止するため、大林組に業界全体の調整について依頼したことがあった。
しかし、それは本件工事を大林組の受注を認めるものではなかった。天の声などではなかったのである。当時、本件工事はまだ具体化しておらず、天の声云々などという段階にすらなかった。

被告人は、大林組がどのように業界内で調整をしているのか、知らなかった。
被告人は、大林組が本当に調整しているのかも知らなかった。
被告人は、大林組が他社と話をしているのか否かすら知らなかった。

実際、本件では、大林組が、誰と談合の謀議をしたのか、いつ談合の謀議をしたのか、どこで談合の謀議をしたのか、きわめて暖昧である。すなわち、談合があろうがなかろうが、本件入札は、結局は大林組に決まった可能性が高い。

さらに、本件工事の予定価格は、異常な低額であった。はじめに予算ありきで、正当な積算を無視していたからである。大林組にとっても、予定価格は、その積算にあわなかった。大林組があえて受注しなければ、2回目も入札そのものが成立しなかった可能性が高いのである。少なくとも本件入札において、公正な価格が害されたことについての立証は不十分である。

繰り返すが、被告人は、大林組が受注するであろうことは事前に認識していた。
業界内で何らかの調整が行われた可能性を認識していたことも否定しない。しかし、そのことは、実際に本件で談合がなされたことにはならないし、被告人が談合について共謀を遂げたとも言えないのである。

また、被告人は大林組のため、あるいは談合のため、検察官がそのストーリーで主張するような便宜を図ったこともない。

この点、検察官が主張する事実について確認すると、以下のとおりとなる。

被告人は、大林組のために分離発注を進めようとしたことなどない。
被告人は、大林組のために設計の分離を進めようとしたことなどない。
被告人は、大林組のために入札公告前に入札予定価格を聞き出したことなどない。
被告人は、大林組に事前に入札予定価格を伝えたことなどない。
被告人は、大林組のために経営事項審査点数を聞き出したことなどない。
被告人は、大林組に経営事項審査点数を伝えたことなどない。
被告人は、大林組のために入札予定価格を上げようとしたことなどない。
被告人は、大林組のために入札予定価格を上げるように迫られても、これを拒否した。

ちなみに、分離発注を提案したのは平原であった。それは遅くとも平成15年2月14日以前であり、平成14年中のことと考えられる。少なくとも大林組の森井が分離発注を問題にする以前のことである。分離発注は、大林組のためではなく、あくまで炉のメーカーによる談合防止が目的であった。

そして、分離発注を実質的に決めたのは第三者の参加した建設検討会議であった。建設検討会議の議論に、被告人は全く関与していない。

設計分離の検討を指示したのは、中司市長であった。平成15年10月のことである。被告人は市内部での設計分離について何ら関与していない。設計分離が問題になっているという認識すらなかった。

大林組が入札予定価格や経営事項審査点数を公告前に知ったかどうかは不明であるが、仮に知っていたとしても、それを聞き出して、伝えたのは平原である。
大林組の森井に対し、入札の意向を問いただしたのも平原である。
そして、その意向を被告人や中司市長に伝えてきたのも平原である。
その際、大林組の予算の増額を露骨に要求してきたのも、平原であった。
平原は、小堀副市長に対しても、独自に予算増額を要求し、小堀副市長の怒りを買っていた。これに対し、中司市長や被告人も、平原の要求を拒否していた。

結局、被告人は、大林組のために便宜らしい便宜など図っていないのである。
この点、大林組の意向を踏まえ、予算増額を露骨に要求した平原と、被告人らとは、その立場は明らかに異なる。
確かに、被告人は、大林組のために議会資料を提供した。しかし、それらはすべて公開資料であって、被告人を通じなくても入手可能な資料にすぎなかった。
もとより議会資料の提供は、市会議員の公務とも言えない。

確かに、被告人は、市議会で本件工事の受注契約の承認決議に賛成した。しかし、賛成は会派の党議拘束の上でのことであった。そもそも反対は共産党議員だけであって、被告人の賛否や出欠にかかわらず、議決が承認されることは明らかであった。被告人としても、承認の議決を特別なことと考えたことなどなかった。
その賛成自体が、大林組のために便宜を図るものであるなどという意識すらなかったのである。

この点、議決の賛成を収賄の対価であるかのような本件収賄の公訴事実は、あまりに技巧的であり、不自然きわまりないといわざるを得ない。

それではなぜ、検察官は、このような不自然な公訴事実を構成したのであろうか。
被告人に職務権限がなかったからである。
実際、被告人は、一市会議員にすぎず、契約について大林組に対し、便宜を図るような職務権限はなかったのである。だからこそ、被告人が全く意識すらしていなかった議会決議をもちだし、あえて被告人の職務関連性にこじつけようとしたのである。

前述のとおり、被告人は、大林組の落札について、およそ便宜らしい便宜など図っていない。実際、3000万円もの金額は、高額にすぎる。そうである以上、それは便宜の対価と見るのは不自然である。
その点、被告人は、平原などを人脈を紹介したことや政治家としての将来への期待も含めての金額であろうと思ったと供述しているが、実際に、被告人が便宜を図っていないことからみれば頷ける話である。

確かに、3000万円は大林組が本件工事を受注したことが要因の一つである。
ある意味で、3000万円は、工事受注に関し、平原刑事の紹介をはじめ仲介手数料的な意味があったとも考えられる。
しかし、市議会議員にすぎない被告人は、市長など行政の長とは異なり、契約権限、行政執行権限などない。人脈の紹介そのものは市会議員の職務ではない。すなわち、30O0万円は、市議会議員であった被告人の職務とは関連性が認められないのである。

そもそも職務が限られている議員については、収賄罪における職務関連性を問うことは難しい。議員は、その立場上、様々な仲介をすることは多いが、このような仲介は直ちに公務とは言えないのである。
この点は、議員について斡旋収賄罪 (刑法196条の4)が設けられた経緯からも明らかである。
大林組から3000万円を受領したことは、政治家として非難されることは当然である。
しかし、被告人の職務との関連性が認められない以上、収賄罪は成立しない。

被告人は無罪である。

百歩譲って、被告人に犯罪成立の余地があるとしても、上記のような状況は十分に斟酌(しんしゃく)されなければならない。
すなわち、被告人は、大林組のために便宜を図るためにメトロ会談をセットしたのではない。岡市議員の暗躍による談合を阻止するためであった。枚方市を改革することこそがその動機だったのである。

被告人は、平成7年に初当選以来、枚方市を改革するため、真面目かつ熱心に取り組んできた。不幸にも、自らが保証人となっていた三起産業が倒産し、莫大な保証債務を負うこととなったこと、その中で選挙資金にも窮したことなどから、大林組に資金援功を依頼してしまった。
しかし、この不幸な倒産さえなければ、被告人がかかる資金を受領することもなかったであろう。
その他被告人に酌むべき情状は多い。被告人には執行猶予判決が相当である。

以下、これらの点を敷衍(ふえん)する。


第2 本件の事実関係

事実関係については、いくつかのポイントがあるが、これらを列挙すれば以下のとおりである。

被告人は、平成11年12月のホテルメトロでの会談(メトロ会談)以降、大林組の森井らと面談する機会があったが、その内容は、PFI事業など一般的なものが多かったこと。

他方、被告人と中司市長は、同時に平原に対し、岡市議員主導の談合防止策を相談しており、平成15年4月1日まで、本件に関連して平原と大林組の間では接点がなかったこと。その中で、平原から談合防止策の一つとして、分離発注が提案されていたこと。

そして、分離発注は、被告人の全く関知しない建設検討会議で議論され、その答申が尊重される形で分離発注が決められたこと。

また、設計分離が、枚方市内部で問題となったのは、平成15年10月以降であるが、その当時被告人は、腎臓ガンで入院療養中であり、設計分離に関与する余地などなかったこと。

他方、平成15年4月以降、平原は、被告人とは別個に大林組森井との接触を深めていたこと。特に、平成16年1月7日には、大乃や(天満橋の料亭)に森井を呼びつけ、一方的に中司市長、被告人と同席させるなど不可解な行動を取り始めたこと。

そして、本件入札が迫った平成17年5月ころから、平原はさかんに森井と接触するようになると同時に、小堀副市長を訪れるようになっていたこと。
同年6月ころからは、平原は、国土建設の山田とともに森井と接触するようになっていたこと。

そして、同年7月から8月にかけて、平原は、繰り返し森井と会うだけではなく、小堀副市長や被告人、中司市長らに対し、予算増額の圧力をかけていたこと。
他方、被告人が、枚方市の関係者に対し、予算増額について働きかけた形跡は認められないこと。

以上のような事実が認められるのである。

なお、さらに詳細な事実関係については別紙のとおりである。


第3 主要証人の証言の信用性

1 平原証言の信用性について

(1)平原証言の概要について

本件談合について、平原は、中司市長や被告人から「大林組に受注させたいので協力してほしい」と頼まれたかのように証言する (平原3回2頁)。より具体的には、平原は分離発注や設計の分離について、平原が行った市の職員に対する説明は、大林組に受注させようとする被告人や中司市長の意向を受けたものであるとする。しかも、分離発注は、談合防止とは関係ないとまで証言した (平原3回15頁)。
また、平成17年7月ころには、平原は、被告人から大林組との話を詰めてほしいなどという依頼を受けて、小堀副市長から、入札前に予定価格や経営事項審査点数を聞き出したなどとも証言する。さらに、平原は、小堀副市長もまた、大林組の受注を理解していたかのような証言もする (平原3回37頁)。

しかし、これらの平原証言は全くの虚偽である。平原は、検察官に迎合し、検察官の描き出すストーリー作成に協力したのである。検察官に協力することにより、自らの刑責を軽減しようとする打算もあったと考えられる。現に、平原は、大林組から賄賂を収受しようとの下心で、積極的に大林組に接触し、その意向を受けて行動していた。

そのことを平原は、本件の証言では、ことさらに隠そうとした (平原4回16頁。捜査段階で平原は森井から事前に連絡があった旨を認めていた。同20頁)。さらに、「大乃や」の会合については、自らが森井を誘ったことが明らかであるにもかかわらず、被告人が森井に連絡したなどと明白な偽証をしている (平原4回29頁)。かかる平原証言を、いかなる意味でも信用できないことは明らかである。


(2)平原の立場と大林の関係

平原証言の信用性を判断するためには、まず平原の立場を理解することが重要である。

確かに、被告人は、中司市長とともに、平原と定期的に会合をもっていた。

しかし、注意しなければならないのは、平原との会合は、あくまで岡市議員による談合防止であり、当初大林組とは何らの関係もなかったことである。

被告人が、平原に対し、大林組との関係を打ち明けたのは、平成14年秋以降のことである。そして、被告人が、森井を平原に紹介したのは、平成15年4月1日である。そうである以上、平成15年4月1日以前に、平原が大林組の意向を受けて行動することなどあり得ない。

他方、被告人らはそれ以前から、平原に談合防止策を相談し、平原もまた様々な提言をしていた。分離発注もそのような提言の一環である。
平原が森井と接触をもつ平成15年4月1日以前の平成14年10月10日付け森井ノート(甲115資料60)にはすでに平原について「様々な案件で相談し、アドバイスを受けてきている」との記載が見られる。
すなわち大林組と全く関係なく、被告人らは平原のアドバイスを受けていたのである (森井5回108頁)。さらに重要なのは、平成15年2月14日付けの森井ノート(甲115資料61)である。
それより以前に 「平原氏は炉のメーカーの動きを見ており、分離を言ってい」たのである。

すなわち分離発注は、炉のメーカーによる談合防止のための方策として、平原が提言していたものなのである。これは平原が、大林組の意向とは関係なく、分離発注をアドバイスしていたことを意味する (森井5回109頁)。
この点、分離発注が大林組の意向を受けていたかのような平原証言は、森井メモによって明らかになる平原自身が分離発注を言い出した時期、その時点での平原と大林組の関係と明らかに矛盾するのである。

逆に、平成15年4月1日以降、平原は、被告人らとは別に森井との接触を深めている。森井の手帳には、平成15年中には、10月27日、12月25日に平原についての記載があるが、これらの接触に被告人は全く関与していない。

平成16年1月7日には、平原の音頭取りで大乃やで被告人の快気祝いが行われているが、その際、平原は勝手に森井を呼んでいる (後述するとおり、この点について、平原は明白な偽証をしている)。
森井の手帳によれば、平成16年10月13日にも、森井は平原と帝国ホテルで接触していることが窺われるが、これも被告人は全く関知していない。

本件工事の入札が行われた平成17年には、さらに露骨に平原は、森井との接触を深めている。森井手帳によれば、森井は5月16日、5月23日、5月31日、6月14日、6月15日、6月24日、7月8日、7月12日(国土山田)、7月28日、8月26日、8月30日、8月31日(国土山田)、10月3日(国土山田)、10月7日、10月24日 (国土山田)、11月1日、11月7日、11月14日 (国土山田)、12月12日、12月13日(国土山田)、12月20日と、頻繁に平原に関する記載が出てくる。

これらは、いずれも被告人を介することなく、森井と平原が直接接触したものである。

平原は、平成17年6月の時点で国土建設の山田を通じて、大林組から賄賂を収受すべく画策を開始していた (平原4回26頁)。すなわち、平成17年当時、平原は自らの下心のために、大林組に本件工事を受注させようと動き回っていたのである。

そうである以上、仮に平原が小堀副市長から、予算ないし予定価格や経営事項審査点数を聞き出し、それを森井に伝えていたとしても、いずれも平原独自の動機に基づくことが明らかである。決して被告人から依頼されたからではないのである。
そもそも平原が証言する被告人からの依頼は、「詰めてくれ」というばかりの漠然としたものであって (平原4回17頁)、平原が上記のとおり積極的に行動する動機としては暖昧にすぎる。

さらに、平原は小堀副市長の怒りを買ってまで本件工事の予算増額に執着している。これもまた平原が、自らの下心によるものにほかならない。ちなみに、平原は、このような自らの動機、下心を主尋問では全く説明せず、反対尋問でも、森井メモや自らの供述調書を突きつけられるまでことさらに隠していた(平原4回16頁、26頁)。このような平原の証言を信用できるはずもない。

(3)大乃やをめぐる異常な森井呼びつけと偽証

そして、決定的なのは、大乃やをめぐって平原が露骨な偽証をしていることである。平成16年1月7日、平原は、被告人、中司市長を誘い、天満橋の料亭である大乃やで快気祝いをしている。

平原は、その場に、独断で森井を呼びつけていたのである。きわめて異常な行動である。現に、その場は気まずい雰囲気となり、1時間程度で中司市長と被告人は退席することになったのである。
いずれにしても、森井を呼びつけたのは、平原である。この点は被告人供述だけではなく、森井証言からも明白である (森井5回116頁)。ところが、この点について、平原は、森井に連絡をしたのは、被告人であるなどと証言した(平原3回29頁)。
偽証と評さざるを得ない。

これは決して些細な点についての偽証ではない。平原が、このような異常な行動を取ったのは、自らの大林組との癒着関係を、中司市長や被告人に見せつけるとともに、その癒着に中司市長を巻き込もうとしたものと考えられる。

また、森井に対して、中司及び被告人との親密さを印象づけるためであったとも考えられる。森井を呼んだのが自らであることを認めれば、その構図が浮かび上がってしまう。
そのため、森井を呼んだのが被告人であるなどと虚偽を述べたのである。
きわめて本質的なポイントにおける虚偽証言であり、許し難いものと言わなければならない。

(4)その他の平原供述の不自然さ

その他にも、平原供述には不合理な変遷などきわめて不自然な点が多々見られる。

ア 第1回目の会合時の小堀副市長の存在

その典型が、平原が市の職員に対し、分離発注をアドバイスしたとする第1回目の会合についての供述である。平原は、公判証言において、この場に小堀氏が出席していたかどうかについてわからないと言い出した。

しかし、反対尋問で明らかにしたように、捜査段階で平原は、この会合に小堀氏が出席していたとして、その状況を詳細に供述していたのである。すなわち平原は、8月19日付け検察官調書において「中司市長から、今日はよろしくお願いしますとあいさつされ、しぱらく待っていたところ、小堀助役、市職員1,2名が応接室に入ってきて席に着きました。
そして堀家助役は少し遅刻してやってきました」、「小堀助役が私の正面に座り、私を品定めするように見ていたことが印象に残っています」「中司市長や小堀助役が仕切るような形で本題に入りました」などと供述した上、その場面を図にまで書いていたのである (平原4回33〜34頁)。

これは単なる勘違いではすまされない。検察官のストーリーによれば、この会合は大林組の意向を受けた中司市長らの要請によって行われた平原の初レクチヤ一である。
小堀氏は、その明確な否認にもかかわらず、談合罪で起訴されている。この会合に小堀氏が出席していたか否かは、検察官にとって小堀氏の関与を示すきわめて重要なポイントである。

他方、平原は経験豊富な元警察官である。供述調書の重要性は百も承知である。
そして、検察側のストーリーにおいて、この会合が重視されていることもまた、当然に認識している。
さらに、この供述調書が録取されたのは、平原の逮捕後1ヶ月半以上経過した時点である。十分に記憶が喚起され、整理されていたことに疑いの余地もない。

いかなる意味においても、本来この場面で平原は誤った供述をする理由はない。
ところが、平原は、その重要な供述を公判であっさりと覆してしまったのである。
理由は不明であるが、少なくとも平原は、捜査段階においても、その場に小堀氏が出席していたかどうかについて、明確な記憶などなかったことは明らかである。

すなわち平原は、捜査段階で、検察側のストーリーに迎合する形でことさらに虚偽の供述をしていたのである。これは到底看過し得ない事実である。平原は、虚偽の事実を述べることによって、検察官に協力していたのである。このような平原供述を信用できないことは明らかである。

イ 被告人の渡航との不整合

また、平成17年7月ころの被告人とのやりとりをめぐる平原証言は、被告人の海外渡航と明らかに矛盾する。すなわち、平原は、被告人から森井と詣めてくれと頼まれたのは、公告の2,3日くらい前の18日、19日ころだと証言する(平原3回24頁)。被告人が依頼してきたというのであるから、平原の趣旨は、被告人の方から電話をしてきたというものと考えられる。

しかし、被告人は、7月16日から23日まで、妻の故国であるオーストラリアに帰省していた。被告人の側から、このような時期に平原に一方的な依頼をしたというのは不自然きわまりない。

この点、重要なのは、渡航直前の7月13日午後1時前ころ、国際免許を取りに門真試験場に向かっていた被告人の携帯電話に、平原「から」電話があり、その直後の午後2時ころ、平原は小堀副市長に電話をしていることである (小堀手帳)。平原「から」かかってきたという点は、被告人の妻の証言からも明らかである。
実際、国際免許をとりに行く最中、しかも妻が運転する車に同乗中に、被告人の側から平原に電話をすることは考え難い。
被告人は、電話の内容こそ覚えていないが、平原から「いやな」電話があったことだけは強烈に印象に残っていた (被告人21回35頁)。実際、妻も被告人が深刻そうにしていたことを記憶している (初田カレン6頁)。

すなわち、少なくともこの平原「から」の電話は、平原が被告人に対し、いやな依頼をするものであったことが明らかである。その「いやな」依頼は容易に想像がつく。森井の意向を受けた平原が、被告人に対し、小堀副市長に接触して何らかの情報を聞き出すことを求めたのであろう。

しかし、被告人はこれを拒否した (ちなみに、海外渡航直前であることは拒否の十分な理由となりうる)。だからこそ平原は、自ら小堀副市長に接触することとし、その直後に小堀副市長に電話をして、アポイントを取ったと見るのが自然なのである。

このように見れば、小堀副市長への接触に積極的だったのは、むしろ平原自身であったことが浮かび上がってくる。実際、すでに見たとおり、平原は再三にわたり小堀副市長と会い、そのたびごとに森井と接触し、さらには被告人や中司市長にも予算増額の圧力をかけてくるなど、その行動は非常に積極的かつ精力的である。

いずれにしても、公告の前後、被告人は海外渡航しており、平原が証言するように、自ら積極的に平原に依頼するような状況にはなかった。この点、被告人の依頼を受けて動いたかのような平原の証言は、客観的状況と整合せず、不自然なのである。

(5)小括

以上見てきたとおり、平原供述は、その内容自体からおよそ不自然・不合理であって、およそ信用できない。
さらに、平原には虚偽供述の動機があることも明白である。すなわち、平原にしてみれば、大林組の受注について、予定価格の聞き出し、予算増額の圧力等で暗躍していることは明白である上、1000万円を賄賂として受け取るなど言い逃れのできない状況にあった。

そうである以上、自らの刑責をすこしでも軽くするためには、中司市長や被告人、さらには小堀副市長にすこしでも責任を転嫁し、さらには検察官に協力することが必要である。実際、平原は自らの公判において、談合が中司市長や被告人によって主導され、平原はそれに利用されたなどとする弁解をしている。

この点、小堀副市長の公判維持や中司市長の検挙を目指す検察庁の思惑と平原の意向が一致したのである。

前述のような不自然な8月19日付け検察官調書はそのような検察庁の思惑と、平原の迎合の産物である(ちなみに、山本検察官もまた,被告人の抵抗にもかかわらず、「ネオン街の男女」なる不可解なたとえを持ち出して (山本69頁)、小堀副市長の関与を推認せるかのような調書を作成している)。

以上のとおり、平原証言は、およそ信用に値しない。事実の認定は、平原供述を排除して行われるべきである。

2 森井証言の信用性

(1)森井証言の概要

森井は、公判廷において概要以下のとおり証言をしたが、次項以下に述べるとおり、森井証言には客観的状況と整合せず不自然不合理な部分が多く、これを事実認定に用いることは許されない。
平成11年春ころ、松山から被告人を紹介された。被告人の自宅を訪問するうちに、岡市市議と関連のある業者を排除して欲しいと依頼されるようになった。

平成11年末ころ、ホテルメトロの会議室で、倉田、森井、松山、中司及び被告人で会い、枚方市の事業に岡市市議の関連する業者が入らないように被告人から依頼があり、倉田が了承した。

その際、倉田から清掃工場について受注希望が示され、中司が全部が全部とったら駄目ですよと言った (森井5回・14頁)。
さらに、初田に対して、業界調整のために議会資料を提供するように依頼した(同18頁)。

平成14年10月ころ、被告人から平原との関係を聞かされた (同28頁)。
平成15年の頭ころ、検討会議の中で分離とか一体とかの話が出ていると聞いたときくらいに、被告人に対して分離発注を依頼した (同22頁)。
平成15年春ころ、被告人の自宅で平原と会った (同32頁)。
平成15年10月20日、被告人に対して、市長の意向の設計業者などを尋ねたところ、後日、被告人から、プラントに建屋の設計を任せるという話を聞き、それでは大林組で差配できないと伝え、建屋の設計をプラントから分離して欲しいと依頼し、工期が伸びないことを示す資料などを提供した (同34頁以下)。
平成16年5月に石本建築事務所が建屋の設計を落札し、大林組が設計協力を行った。ところが、石本建築の積算額が市当局の予算を大きく上回ることがわかり、平成16年11月ころ被告人に相談したところ、石本建築に頑張って市当局と調整するように言われた (同40頁〜)。

平成17年7月21日の入札公告の1週間から10日くらい前に、被告人に対して、経営事項審査点数と予定価格を尋ねたところ、公告の直前に平原から予定価格と参加資格と公告のスケジュールを教えてもらった (同44頁〜)。公告後、見積金額が予定価格をはるかにオーバーしたことから、大林組として入札を見送ることにした (同46頁)。7月26日に被告人と会い、入札できないことを伝え、7月28日に平原と会い、やはり入札できないと言うことを伝えたところ、そんなこと言わんといてくれなどと言われた (48頁〜)。

平成17年8月8日に不応札となり、その後、8月26日に平原に会い、予算の増額についてやりとりをした (同57頁〜)。8月30日にも平原から電話を受け、予算の増額は54億十αという報告を受け、これで何とか検討して欲しいと頼まれた (同59頁〜)。

同年10月7日に平原に対して、落札する方針だと伝えた (同65頁)。その後、10月12日に被告人と会い、受注の際には2%の謝礼を要求され、松山を介して金額交渉を進め、3000万円を被告人に渡すことにした (66頁〜)。

(2)森井の証人としての立場

森井証言を検討する上で注意しなければならないのは、森井の立場である。
森井は、大林組の部長、取締役及び顧問を務めた者である。

公判廷で明らかになったとおり、関西のゼネコン業界においては、大林組を中心にした談合行為が日常的に繰り返されてきたという経過がある。本件はかかる談合行為の氷山の一角に過ぎず、検察当局により余罪を立件される可能性が末だ否定できない状態なのである。

当時役員であった森井としては、自らの保身を図るため、会社を守るために検察当局のストーリーに迎合せざるを得ない状況に追い込まれたうえでの証言であった。

そのため、メトロ会談で清掃工場に特定した依頼をしたこと、本体の分離を依頼したこと、設計の分離を依頼したこと、公告前に被告人に予定価格などを問い合わせたことなど、検察当局のストーリーに合わせて被告人を談合に引きずり込むための証言を行わざるをえなかったのである。

他方、森井は、本件工事の担当者役員として、会社に対して損害を与えてはならないという法的義務を負う立場である。当初から赤字工事が予想される状況で受注したというのでは(平原から半ば強要されたという状況であったとしても)、会社に損害を負わせたということで株主代表訴訟などにより取締役としての責任を追及されかねない。そのため、本件が赤字にならないということを強弁せざるをえないのである。

また、被告人に対する資金提供についても、たとえ森井が当時取締役という立場であったとしても、資金提供が大林組のためにしたものでなければ大林組に対する背任行為であるとされかねない状況であったのである。

したがって、森井としては、被告人から議会決議を条件にされて、やむにやまれずに被告人に金員供与してしまったということにせざるを得なかったのである (資金提供の実際の趣旨については第5、8項を参照)。

(3)設計の分離について

森井の証言において、客観的事実と決定的に食い違う部分がある。それが設計分離について被告人に依頼した場面である。
森井は、平成15年10月20日ころの手帳の記載をもとに、同日に面会し、さらにそれ以降にも設計分離を被告人に依頼したと証言した。

しかし、被告人は、平成15年9月18日から左腎細胞癌の手術のために枚方市立枚方市民病院に入院し、開腹による左腎臓摘出手術を施術され、同月28日に退院している。その後、食べ過ぎによる癒着性イレウスにより同月30日に再度入院し、10月3日に退院している。

被告人は、市議会議員であり、当時副議長の立場にあったことから、癌の手術については一部の者にしか告知しておらず、森井に対してもその旨は告知しておらず、森井もそのことを知らなかった。そして、森井が被告人に会ったと証言する10月20日時点では、退院から1ケ月も経過しておらず、自宅療養中であったのである。

この点にも関わらず、森井は、被告人と会った場面について、特に思い出す出来事はなかったと証言している (森井6回・11頁)。仮に、森井が10月20日に被告人に会っていたのであれば、被告人は自宅で横になっていたか、少なくとも移動の際に腹部に痛みを訴えたかしていたはずであり、そのような印象的な出来事が森井の記憶に残っていないはずがない。

森井の手帳には、10月20日の欄には付箋を貼ってあり、「市長の意向の設計業者は?」等と質問事項が記載されてある。森井が実際に被告人に対してこれら質問事項をぶつけたのであれば、質問に対する回答を記載しているはずである。

森井の手帳からかいま見られる、森井のメモに関する習癖からすれば、被告人からの回答があれば備忘のためにメモをしたはずである。そのような記載がみられないこと自体が、森井が被告人に質問事項をぶつけることができなかったことを物語っている。

この点に関する森井の証言は明らかに虚偽である。そして、かかる虚偽の証言は非常に具体的なやりとりについて指摘しているのである。このような森井証言の問題点に十分配慮されたい。

しかも、森井の手帳を見る限り、平成15年9月22日に被告人と面会をしたかのような記載まで存在する。この日は、被告人が入院していることは明らかであり、手術後一週間も経たない時期であることから、森井が被告人と面会していることは考えられない。

にも関わらず、森井の手帳には、被告人との面談予定について消された跡もない。森井の証言は、手帳の記載をもとに記憶喚起したものがほとんどであるが、その前提となる手帳の記載自体が信頼できないものであることがこれにより明らかになる。

被告人が供述するとおり、癌の再発や転移が発見されないと分かる定期検査(早くとも平成15年11月ころと思われる)までは、生きた心地がしないのであるから、森井が証言するような、分離発注に関するやりとりが存在したはずがない。
むしろ、森井は、平成15年9月26日、10月27日、11月10日、12月25日と平原と接触を持っており、設計の分離に関するやりとりについては、平原との間で行われたことを被告人との出来事にすり替えている可能性が高い。(いずれにしても設計の分離については、10月7目の時点で市長が設計分離が相当であるとの意向を示しており、森井による働きかけの有無に関係なく進行していることが明らかとなっている)

(4)メトロ会談

ア 森井の供述

森井は、メトロ会談において、倉田のほうから清掃工場については是非大林組のほうでお願いしたいと、そういうお願いをいたしました。(森井14頁)などと、清掃工場の工事について大林組に受注させて欲しいということを伝えた旨を供述する。
これに対して、中司から、全部が全部とったらだめですよというくぎはさされました。(森井14頁)と供述する。そして、中司の返事については、天の声だと受け取ったとする。

発注者側の市長から天の声を受けたのは、最初で最後だったと言うが (森井6回・16頁)、山本に対しては中司から「全部が全部は駄目ですよ」と言われたことを山本に対して伝えただけで、そのように伝えれば山本の世界では天の声だと理解すると考えたとも供述する (森井17頁)。

イ 森井供述の不自然さ

メトロ会談の時点では、清掃工場について発注方法や予算も含めて具体的には決まっていなかった (森井6回・24、37頁)。
そのような抽象的な事業計画の中で、営業マンである森井が被告人らに働きかける内容としては、まさに 「営業トーク」としての受注意向を示す熊度であったのである。
森井も「可能であれば、すべてそういうお願いをします」などと、実現不可能なお願いであっても営業トークとして行う趣旨であることを述べている(37頁)。

森井は、メトロ会談前に被告人の自宅に行った際には、全ての事業を依頼したかのような供述をするが、かかるやりとりが仮にあったとしても、これは現実的な依頼ではなく、まさに営業トークであるといえる。
そして、その後、メトロ会談において、倉田から清掃工場に限定して依頼したかのように供述をするが、倉田が特に清掃工場を依頼するに至った理由が全く明らかにされておらず、経過としても不自然である。
さらに、その後、天の声を受けるのが初めてであったとする森井が、中司の暖昧な表現を山本に対して伝えたことで、山本が理解すると考えたとしていることも不自然である。

ウ 客観的状況との不整合性

メトロ会談が行われた平成11年末ころの時点においては、清掃工場については抽象的な計画に過ぎなかった (弁67・9頁)。このことは森井も認識していたのである。このような抽象的な事業計画であるにも関わらず、突然、清掃工場という特定の事業について明確に受注意欲を示した (森井6回・37頁)などと森井が強弁すること自体が、森井の供述の信用性を疑わしめるものである。

(5)平成17年7月の被告人とのやりとり

森井は、平成17年7月21目の入札公告前に、被告人に予定価格と経営事項審査点数を尋ねたと証言する。そして、被告人に尋ねた理由として、市当局の情報を入手するところは他になかったからであるとする (森井5回・43頁)。

しかし、森井の手帳から明らかなように、森井は、平成17年5月ころから平原と頻繁に接触を持っている。特に、同年6月14日には 「平原氏TEL 明日副市長に会ってくる。」、同年6月15日には 「平原氏TEL 単体一般競争入札」などと記載されている。

このころ森井が、市当局の情報を入手するためのパイプとして平原を用いていたことは明らかであり、同年7月当時に被告人経由で情報を入手するような状況ではなかったのである。
このころの森井と平原の接触の密度からすれば、被告人の出る幕など無がったのである。

にもかかわらず、あえて被告人に尋ねたと強弁する森井の証言態度は、被告人を関与させようとする検察のストーリーに迎合したものであるとしか考えられない。

(6)議会承認

森井は、3000万円を渡した理由について、議会承認をつつがなく行ってもらうためであると供述する (森井6回・34頁)。
しかし、談合情報を流されるかもしれないという不安感を供述するものの、具体的状況を聞かれると、想定つきませんなどと暖昧に答えるのみである。(森井2回34頁)

しかし、議会承認を混乱させないという理由には、全くの合理性がない。大林組 (実際には淺沼組とのJV)が落札したことを知った被告人が、議会承認を交換条件にして金員を要求する理由がどれだけあるだろうか。

そもそも、契約の承認案件が否決される事例などほとんど無いのであり、被告人一人が反対票を投じたとしても意味はない。保守層が多数を占めている枚方市議会において、事実上契約承認案件が否決されることなど考えられないのである。だからこそ、森井も漠然とした不安感しか証言できないのである。

そして、仮に、被告人が大林組の談合情報を議会に流したとすれば、それは談合を認識していた被告人の身にも降りかかってくるものであり、被告人の自滅を意味し、中司とともにその完成を待ち望んだ本件工事を頓挫させることになるのである。
そのようなことを被告人が行うと、森井が想定するはずがない。

結局、森井は、被告人の職務関連行為である議会決議と資金提供とを結びつけたいという検察当局の思惑に乗らざるをえずに、このような不自然な証言に固執したとしか考えられない。

(7)小括

以上のように、森井の証言を子細に検討すれば、その根幹部分において客観的状況と明確に矛盾するとともに不自然不合理な内容の供述が多数見られるのであり、かかる森井証言を前提に事実認定を行うことは許されない。

3 被告人の公判供述の信用性

上記のような平原と森井の証言と対比して、被告人の公判供述は、自己に有利不利を問わずありのままに供述していること、記憶が明確な部分と不明確な部分を区別して供述していることが明らかであり、その信用性は高い。


第4 被告人の検察官調書の信用性の不存在

被告人の検察官調書の信用性については、平成21年1月20日付及び同月27目付意見書において述べたが、改めてその信用性の不存在について論じる。

1 利益誘導、脅迫などが行われていること

証拠採用においては否定されたようであるが、被告人の取調べにおいて、利益誘導、脅迫などの違法な取調べがなされたことは明らかである。被告人の検察官調書の不同意部分について、任意性がないのであるから、裁判所におかれては、職権で証拠排除されたい (規則207条)。
この点、事実関係を再論すれば、以下のとおりである。

(1) 被告人は、平成19年6月4日の逮捕直後、医師から診察を受けた。被告人は、逮捕以前から睡眠薬の投与を受けていたので、処方を申し入れたが、医師は、2,3週間様子を見るとの回答であった。

被告人は、平成19年6月4日の談合被疑事実での逮捕以降、ほとんど眠れない状熊であり、ほぼ連日の長時間の取調べに疲労が蓄積していた。
弁護人らは、同月12日、大阪拘置所に対し、処方を依頼する上申書を提出した (弁1)。しかし、同月22日まで医師の診療はなく、処方は受けられなかった (弁2)。

(2) 被告人は、逮捕後、山本真千子検察官 (以下、「山本検察官」という。)の取調に対し、本件工事に関する談合の認識、本件工事契約のための議案賛成等について否認していた。また、被告人は、森井や松山、平原との共謀を否認していた。同月13日まで山本検察官は、大学ノート様のものに万年筆で被告人の主張のメモを取っていた。

同月14日、山本検察官は、自らが作ったメモを読み上げながら、大林組による本件工事落札のため被告人が便宜を図ったという内容の調書を作った。その間、被告人が、違う部分を指摘しようとしても、山本検察官は、全く聞こうとはしなかった。
そして、出来上がった調書を印刷して、被告人に読ませて、自らも読み上げた後、これに署名押印するように言った。被告人は、自らが供述している内容と異なるとして、当初拒否した。

しかし、山本検察官は、「森井がいっていいよと言われたと言っている」などと、拒否を認めず、あくまで署名を迫った。また、被告人が本件工事の受注調整を依頼したのではない、岡市を排除するために岡市の息のかかった談合組織に対抗してもらうために、大林組に調整を依頼したのであると被告人が説明しても、山本検察官は、「一緒じゃない!」と被告人の説明に従った修正をしようとはしなかった。

不眠と連日の取調によって疲労困憊していた被告人は、山本検察官の執拗な誘導に根負けし、調書 (乙2)に署名押印した。

(3) 同月15日、山本検察官は、同月14日と同様の方法で、大林組による本件工事落札のため被告人が便宜を図ったという内容の調書を作成し、署名押印するように言った。また、その調書には、入札前に森井と電話をしたという内容が含まれていた。
被告人は、当初、そのような事実はないとして署名押印を拒絶した。また、被告人は、日時や場所については、記憶があいまいであるとも話していた。

しかし、山本検察官は、「これが自然な流れでほかの人 (森井)もそう言っている」などと共犯者が被告人との共謀を認めていると誘導した。

また、山本検察官は、「ずっとここにおったらええやん」などと脅迫した。さらに、山本検察官は、「何言ってるんや、この調書、結構私の自信作やねん!」(平成21年1月20日付被告人質問74頁、以下、「被告人2・74頁」と記載する。)とまるで調書は検察官が作るものであって、被告人の主張を記載するものではないと誘導した。
不眠と連日の取調によって疲労困傭していた被告人は、山本検察官の脅迫や執拗な誘導に根負けし、調書 (乙6)に署名押印した。

(4) 同月17日、被告人は、山本検察官に対し、平原から談合調整役の山本を外せと言われたが、「そんな話をされても困る」と言って、そんなことは平原から直接森井に伝えてほしい、と頼んだ旨を供述した。すると山本検察官は、この被告人の話を悉意的に取捨選択し、平原さんは森井さんと会うことを了解してくれた旨の調書を作成し、被告人に署名押印するように言った。

被告人は、一旦署名押印を拒否し、平原に対し、「そんな話をされても困る」と言ったということをどうして書いてくれないのかと言い訂正を申立てた。
しかし、山本検察官が、「一緒じゃない!」と訂正せず (法198条4項に明確に反する)、執拗に署名を求めた。
被告人は、不眠のため、意識がもうろうとしていたこともあって、山本検察官の強要に屈服する形で署名押印した。

(5) 同月19日、山本検察官は、被告人に対し、小堀が談合を知っていたと認め、大林組から予定価格を聞かれたこと等を認める調書に署名押印するよう言った。
被告人は、小堀が談合を知っていたなどと考えておらず、そのような調書は山本検察官の作文にほかならなかった。被告人は、かかる作文調書への署名押印は拒否した。

しかし、山本検察官は、「そう思ってもおかしくないでしょ、ネオン街を歩く男女を見てどう思うの。」「あなたが勝手にそう思っていたんだから、小堀さんは知っていたことにならない。小堀さんにとっては不利益にならない。」などと誤導した。また、被告人は、森井から予定価格を聞かれたことがないと言っているにもかかわらず、山本検察官は「記憶がないだけじゃないの。」と言い、不眠により意識がもうろうとしている被告人を誤導し、署名押印させた。

(6) 同月20日、山本検察官は、本件工事を大林組に受注させるため、談合があったと知りながら議案に賛成した、との調書に署名押印するように言った。被告人は、大林組に受注させるためという認識はない旨、主張して一旦拒絶した。
しかし、「今考えるとそのとき大林のために賛成したやろ!」と山本検察官は調書を訂正してくれず、全く言い分を聞いてもらえないため、疲労困憊した被告人は、根負けして署名押印した。

(7) 同月21日、山本検察官は、本件工事を大林組に受注させるため、資料を提供したとの調書に署名押印するように言った。また、その調書には、小堀は談合を知っていたと思うとの記載もあった。
被告人は、弁護人からアドバイスは受けていたものの、不眠と連日の取り調べのため意識もうろうとしており、すでに取った調書と同じ内容だったことから、執拗に署名を求められたことから根負けして署名押印した。

(8) 同月22日、被告人は、医師からの診療を受けた。その際、被告人が不眠を訴えて睡眠剤を希望したにもかかわらず、何の対応もなされなかった。弁護人らは、同月25日、大阪拘置所に対し、抗議・警告書を送付した (弁3)。また、同日、初田の不眠状態が続き、体調の回復まで取調を中止されたい旨、石山検事に申し入れた (弁2)。
しかし、同日以降、同年7月5日まで取調は毎日続けられた。弁護人らは、同月25日、大阪地方裁判所に対し、勾留の執行停止を申し入れた (弁4、5)が、執行停止はされなかった。

(9) 取調べ中、被告人は、一貫して賄賂性の認識について否認していた。
山本検察官は、被告人の主張を大学ノート用のものにメモしていた。同年6月25日、黙秘しようとする被告人に対し、山本検察官は、「弁護士さんあなたのこと、考えてない」「黙秘して罪が重くなって、弁護士さんがああすみませんでした。私が代わりに罪を受けますと言ってくれるの?みんなあなたがかぶらなあかんことになるんですよ!」と黙秘権を侵害し、弁護士に対する信頼を失わせる行為を行った。
また、山本検察官は、「「そのときそうは思ってなかった」なんて通じない!大海原の大時化(おおしけ)の海に、あなたと私が乗っている。私は拳銃を持っているが、まだ撃っていない。あなたは海に飛び込むの。」と脅迫を行った。

(10) 同月27日、賄賂性を否認する被告人に対し、山本検察官は、「無罪になると思っているのか!あまりにも相手の言っていることとかけ離れていてはおかしいでしょう!」「できるだけ、あなたが不利になるようなことは書くつもりがない。」などと脅迫及び誘導を行った。被告人が、否認が罪を左右するのかと聞くと、山本検察官は、情状の部分に関わると脅迫した。

(11) 同月26日、再度、弁護人らは、被告人が逮捕前に通院していた医療機関の診断書を添付の上、睡眠剤の投与を申し入れた (甲6)。しかし、同月27日、被告人を診察した医師は、30秒程度診察した上、「うとうとできているようだから、薬は出しません。」と睡眠剤を処方しなかった。それに対し、同月29日、弁護人らは、大阪拘置所に対し、抗議・警告書を送付した (弁7)。

(12) 同月30日、賄賂を受け取るために議決に賛成したことはないと言う被告人に対し、山本検察官は、「何も考えず賛成したとすれば、議員としても、人としても失格ですよ!」と侮辱した。

(13) 同月30日ころから、被告人は、安定剤の処方を受けた。しかし、以前から睡眠導入剤を服用していたため、被告人には安定剤程度では効かなかった。被告人は、同日以降も睡眠不足だった。

(14) 同年7月1日、被告人は、議決に賛成すれば金銭授受に有利になるとは思ってなかったと言った。それに対し、山本検察官は、「ゼネコンがよろしく頼みますということは、議決の賛成も入ってることくらい当たり前やろ。あほちゃうほんまに。あなたの言う入札の議決は毎回セレモニーみたいなものでなんていう言い訳が通ると思てんのんか。」と被告人を侮辱した。

また、山本検察官は、「裁判所がどう思うかわかってるやろ!「ああこの人は責任逃れるためにこのところだけ逃げてるな!」と思うに決まってるやろ!あなたが不利になるのん目に見えてるから、誰が見ても当たり前のところは、「それは今思うと、賛成がお金につながると分かっていたと思う」と言った方が「この人、本当の事言ってるな」となるやないの!」と利益誘導した。

(15) 同月2日、本件工事受注に対する謝礼として賄賂を受け取ったわけではないと被告人は言っていた。それに対し、山本検察官は、「もらった限りは一緒やないか。そんな話が通用すると思うのか。」「裁判長は言い訳としかとらへんで。」「刑務所にも行かなあかんよ。」と怒鳴り、脅迫を行った。また、「一番いい形にしようとしてるのに。」と利益誘導を行った。
そして、刑務所に行くのがこわくなった被告人は、本件工事に対する謝礼として金銭を受け取ったことを認める調書に署名押印した。

(16) 同月4日、もらったお金は賄賂ではないと被告人は言った。しかし、山本検察官は、「もらった限りは賄賂やん」と誤導して被告人の言い分どおりに調書を訂正せず、被告人は、誤導に乗って調書に署名押印した。

(17) 同月5日、被告人は、受け取った金銭は賄賂ではないと否認した。そして、調書 (の記載)はお金とか謝礼にして下さいと言った。山本検察官は、「賄賂も謝礼も一緒の意味だ。」と誤導し、「弁護士さんの判断まちごうてるわ!分からんのん!これ以上話してたら、腹立つだけや!今度わたしをおこらしたら、あなた終わりやで!」と怒鳴り、脅迫した。被告人は、脅迫を受け、保釈されないことがこわくなって、署名押印した。

(18) 同月5日、同月4日の取り調べ内容について、弁護人らが、刑訴法198条4項違反であるとして抗議の上、取調べの可視化を申し入れた (弁8)。しかし、その後も取調べは一度も可視化されなかった。

(19) 同月7日、山本検察官は、被告人に対し、被告人が森井に本件工事受注についておめでとうさんと言ったという内容が含まれた調書に署名押印するように言った。
被告人は、拒絶し、調書訂正を求めた。しかし、「はぶかれません!こんだげゆずってんねんから腹くくり!弁護士にどれだけきつく口止めされてんのか知らんけど、なさけないねえ。
弁護士の中には、何でもかんでも、とにかく署名するな言う弁護士いてるけど、まあ秋田さんもそうかなあ!」と被告人を侮辱し、被告人と弁護人との信頼関係を破壊する行為を行った。被告人は、この日は、署名押印を拒絶した。

(20) 同月8日、山本検察官は、本件工事契約についての議決後に森井に電話をしたこと等が含まれた分厚い調書に署名押印するように言った。被告人は、「私が連絡したのか、森井さんからなのかも分かりませんが、何らかの形でしゃべってると思います。」と説明していた。説明とは違う内容の調書であったので、被告人は、署名押印を拒否した。山本検察官は、違うところに付箋を貼っていけと言った。

山本検察官は、付箋の貼られた部分を一部抜いた調書を作成した。被告人は、上記森井との電話部分が削除されてあることを確認して調書に署名押印した (但し、付箋を貼った部分全てが、削除されたわけではなかった)。

山本検察官は、上記調書の作成後、一度取調室を出た。戻ってきた山本検察官は、「やっぱり、これ、取っとかなあかんわ」などと言って、上記森井との電話部分を記載した調書を作文した。被告人は、山本検察官と押し問答になった。しかし、山本検察官は、「やっぱりこれは取っとかなあかんねん。」などと署名を強要した。
被告人は、同日以前から脅迫や利益誘導を受けていたため、署名押印しなければ拘置所から出られないと思って、署名押印した。
その後、山本検察官は、「大恥かくような調書になってもうた!」「あんたのこと一生許されへんからな!」などとかんかんに怒った。

(21) 以上の事実関係についての被告人供述は、客観的な調書の作成経過に符合する上、経験した者にしか語り得ない迫真の内容であるし、その供述は何ら変遷することなく一貫している。

少なくとも取調べが可視化されていない密室で行われていること、山本検察官証言を前提としても被告人の供述が矛盾しないことからすれば、かかる違法取調べがなされた可能性はおよそ否定されないと言うべきである。
このように、利益誘導や脅迫などによる取調べによって作成された検察官調書に信用性などあるはずがない。

2 勾留質問調書と検察官調書との間の変遷

さらに、被告人の供述調書は、その内容から見ても、およそ信用性が存しない。

被告人は、平成19年6月6日付勾留質問調書において、「一部は事実ですが、一部は知りません。」と供述している (乙20)。つまり、被告人は、同日、明確に本件談合について否認している。
その後、同月14日から検察官調書が作成された。しかし、本件談合について否認する調書はない。

同日以降、本件談合につき、詳細な検察官調書が作られたにもかかわらず、本件談合被疑事実のどの部分について知らないのかは全く記載がない。変遷の理由の記載もない。
このような不自然な変遷は、本件収賄被疑事実についての調書にも存在する。

被告人は、同月24目付勾留質問調書において、「現金3000万円の供与を受けたことは間違いありません。ただし議会に議案を提出し、提出された議案について質疑し、評決に加わるという職務や権限行使とは関係なく受け取っています。」と供述している。

本件収賄の被疑事実の要旨は、「被疑者は、枚方市議会議員として、同市議会の議決すべき事件につき、議会に議案を提出し、提出された議案について質疑し、評決に加わるなどの職務権限を有していたものであるが、平成18年2月ころから同年4月ころまでの間、3回にわたり、大阪市北区中之島5丁目3番68号所在のリーガロイヤルホテル専用駐車場において、株式会社大林組(以下「大林組」という。)本店常務執行役員として大林組の公共建築工事の受注等に関する業務に従事していた森井繁夫らから、大阪府枚方市が発注し、その請負契約締結につき同市議会の議決を要する「仮称第2清掃工場建設工事 (土木建設工事)」の請負契約締結等に関し、大林組のために有利便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨及び今後も同様の便宜な取り計らいをしてもらいたいとの趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら、現金合計3000万円の供与を受け、もって、自己の上記職務に関して賄賂を収受したものである。」であった。

したがって、被告人が、本件収賄被疑事実について、議案で評決する職務と供与は関係ないとして否認、していたことは明らかである。

しかし、その後作成された検察官調書には、勾留質問調書において否認されていた事実の記載は一切ない (なお、記載しなかったことは山本検察官自身認めている。山本検察官40頁)。その否認の意味も記載されていない。

この点、山本検察官は、談合については共犯とされている人のうちに知らない人がいるという意味だったと理解したから、特に検察官調書には記載しなかったと証言した。また、収賄については、議決に賛成したことと3000万円は関係ないという供述と意味は同じだと理解したから、検察官調書に記載しなかった旨、証言した。

しかし、被告人が否認から自白に転じたのであれば、通常、その理由を供述調書に記載する。変遷がある調書は、合理的な変遷理由がない限り、信用性がきわめて低いとされているからである。
にもかかわらず、検察官調書には変遷の理由について記載がない。
取調べの可視化がされていないので、被告人の供述について直接確認もできない。山本検察官は、取調べで被告人の話を大学ノート様のものにメモしていたが、その大学ノートも山本検察官自身により処分されており、確認できない。山本検察官の証言については、現在、何らの証拠に裏付けられていないのである。

裏付けがない以上、少なくとも、山本検察官から脅迫や利益誘導を受けて,被告人が山本検察官の作文調書に署名押印した可能性を排除できていない。
上記変遷について、調書上、合理的な変遷理由が記載されていないのであるから、被告人の検察官調書には信用性が認められるべきではない。

3 検察官調書の変遷

さらに、山本検察官が作成した検察官調書を比較しても、不自然な変遷が存在する。

平成19年6月15日付の検察官調書 (乙6)においては、被告人が第1回の公告直前に、平原に対して、森井に本件工事を受注するよう依頼してほしいと言ったという記載がある。しかし、同月19日付の検察官調書においては、その点はなかったとされている。
この点について、同日付検察官調書において、合理的な理由は記載されていない。以下、敷衍(ふえん)する。

乙6には、「平成17年7月21日、本件工事の1回目の入札の公告がありましたが、この公告の何日か前ころ、森井さんから電話があり」(10頁)と公告直前に森井が電話があったと記載する。そして、「私は、早速、平原さんに予定価格などを調べてもらうことにして、森井さんには確認してみますわ。と返事をし、平原さんに電話で大林さんが、もうすぐ入札なんで、金額や経審の点数がどんなもんかと言ってきています。小堀さんに聞いて森井さんに教えてやってもらえますか。と頼んでみました。

すると、いくらもしないうちに、平原さんが私の自宅に立ち寄り、私に39億円くらいで出るらしいわ。経審は、JVなら1200点以上、単独なら1400点以上らしい。と教えてくれました。」(乙6・11頁)、「私は、何とかして大林組に本件工事を落札してもらいたいと思い、平原さんには何とか大林に工事取らせるように平原さんからも大林に言うてくださいな。などと頼んでおきました。」(乙6・14頁)との記載がある。

したがって、平成19年6月15日付の調書 (乙6)では、平原が、第1回の公告直前に被告人宅を訪ねて、予定価格等を教えてくれたが、額が低いので被告人が、平原に対し、大林組に工事を取らせるように頼んだということになっている。

しかし、4日後に作成された同月19日付検察官調書ではその平原とのやり取りについて変遷している。同月19日付検察官調書においては、被告人が、平成17年7月16日から同月23日までの間、オーストラリアに行っていたことが前提となっている。

その上で、同調書には、「オーストラリアから帰った後、平原さんから言われたとおり、公告前に小堀副市長のところへいき、予定価格や経審の縛りを聞いてきて、森井さんに伝えた。

小堀副市長が教えてくれた予定価格と経審の縛りは、予定価格は39億円くらいで、経営審査の点数は、JVなら1200点以上、単独なら1400点以上だった。森井さんに予定価格などを伝えたところ、森井さんは、「大林組はその金額ではしんどい。」などと言っていた。などと聞かされたはずです。」という記載がある。
この記載は、公告前には被告人には特に説明せずに平原が森井に予定価格や経営審査について伝えたという内容である。

したがって、公告前に平原に予定価格等を聞いて、額が低いことから平原に対し、大林組に受注するよう依頼してほしいと言ったという内容から、公告前には被告人は予定価格等を聞いていなかった (つまり、公告前に平原に大林組に受注を依頼してほしいとは言っていない)という内容に変遷しているのである。

その理由として、平成19年6月19日付検察官調書においては、「平原さんが小堀副市長から予定価格などを聞いて森井さんに伝えた時期が公告前であったため、私が平原さんからその顛末を聞いた時期も同時期であったと勘違いしていました。」と記載されている。

しかし、その理由は合理的ではない。まず、平原から話を聞いた場所が調書間で違う。そして、平原から、低額の予定価格を聞いたから森井に工事を受注するよう話をしてほしいと依頼したのか、それとも、公告前に予定価格を聞いてなかったのか、平原とのやり取りの内容が全く違うのである。時期の問題ではない。
上記変遷理由では、全く合理的とは言えない。
検察官調書の間においても、不合理な変遷がみられるのである。

4 平成19年7月8日の調書の不自然性

平成19年7月8日には、検察官調書が4通も作成されている。そのうちの乙11は、主に議決されたときの様子が記載されたものである。乙13は、議決後に森井におめでとうさんと電話したという内容である。その時系列としては、乙13と乙11は連続している。

つまり、乙11は、「私は、その議決の後、時期についてははっきりとは覚えていませんが、大林組の森井さんに電話で、契約の議決、通りましたよ。おめでとうさん。などと言ったことがありました」という記載になっているのである。

また、調書の量としては、乙11は、添付資料を除き本文は8頁であり、乙13は、本文は1頁弱である。どちらもそう長い調書ではない。
乙13について検討すると、電話した時期は記載がない。架電元が携帯電話あるいは固定電話なのか、架電先が携帯電話あるいは固定電話なのかも記載がない。
もし架電元が携帯電話だとして、どの場所にいたときにかけたのかという記載ももちろんない。なぜかけたのか、という理由も記載がない。いわゆる5W1Hの多くが抜け落ちた調書なのである。

このように時期や場所、理由などが記載されていない調書になった合理的な理由の記載はない。このような調書には信用性が認められるべきではない。

また、乙13の調書の量はきわめて少ないことから、他の検察官調書に含まれていたことは明らかである。時系列の流れから見ると、乙11の記載の終わりころに乙13の内容が含まれていたと思われる。しかし、乙13が分離された理由について、電話の事実について、「忘れていた」「思い出した」などの記載は全くない (なお、山本検察官自身、作成された日より前から被告人が森井との電話について話をしていたと証言した。)

この点、山本検察官は、乙13については、同じ調書にすると印象が悪いので、別の調書にしてほしいと被告人が頼んできたと証言した。

しかし、山本検察官の証言は、不自然きわまりない。乙13のように調書を分ければ、かえって、上記森井との電話の事実が目立ってしまうことから印象が悪いからである。
そして、そのような被告人の依頼については、調書のどこにも記載がない。取調べの可視化もされていないので、被告人供述を直接確認することもできない。被告人供述をメモした取調ベメモも破棄されてしまった。したがって、被告人供述を排斥する証拠は存在しない。
上記述べたように、不自然な点が多く見られる調書には、信用性が認められるべきではない。

第5 個別争点について

1 メトロ会談

メトロ会談において、被告人らが、大林組に対して、枚方市の工事から岡市市議の関連する業者を排除して欲しいと依頼したことは事実である。

しかし、かかる被告人らの行為は、特定の人物と関連のある業者を排除することを依頼したのみであり、それ以上にゼネコン業界での自由競争を制限するものではない。
したがって、メトロ会談における依頼をもって談合の共謀と評価することはできない。

なお、検察官は、メトロ会談において、倉田から被告人らに対して、本件工事に絞った受注依頼がなされ、中司がそれを了承したと主張する。
しかし、この点に関する森井証言が信用できないことは既述のとおりである。

メトロ会談の時点では本件工事は具体化しておらず、具体的な受注依頼がなされるような状況ではなかった (弁63・9頁)。
平成13年ころにはPFIによる事業の検討が行われており(弁44・3枚目)、この時点でも事業形態の根本をどのようにするかという議論がなされている状熊であった。

メトロ会談の時点においては、一般論として枚方市の工事について大林組も頑張りたいとの営業トークが倉田からあり、それに対して中司が一般的な言葉で軽く受け流したという状況であった (中司19頁)と考えるのが自然である。

2 資料提供

メトロ会談後、被告人は、主に松山を介して森井に対して議会資料などを提供してきた。

被告人は、松山から、関西のゼネコン業界の長である大林組において岡市市議の関連する業者が枚方市の工事に参入しないようにするために資料提供が必要であると言われ、これに従ってきたのである。
被告人が森井に対して提供してきた資料は、いずれも議会において配布され公開が許されたものであり、資料を提供すること自体に特段の規制は存在しない。

また、資料の種類は、本件工事に限らず、火葬場やその他の工事に関する資料を含んでおり、岡市市議の関連する業者を排除して欲しいという一般的な依頼に対応するものであることも明らかである。

被告人は、松山から、大林組がその社会的立場から自社の利益のみを考えることなく行動することを聞かされており、岡市市議の関連する業者を排除する以上に、大林組の受注のために当該資料が用いられるとは考えていなかった。

したがって、資料提供についても、本件工事に関する具体的な談合の共謀としてなされたものではない。

3 本体の分離発注の依頼

ア 森井供述

森井は、本体分離発注を依頼した時期については、杖方市側の方で一括・分離の議論がされはじめてからだと供述する (森井2回・15頁)。
森井の供述調書においても、私としては、初田市議から枚方市が清掃工場の発注方法を検討していると教えてもらった後、プラント工事と施設工事とを分離発注してもらいたいと思いました。
と記載されている (森井2回・16頁)。

イ 検察官のストーリーは立証されていない

検察官は、森井が被告人に本体の分離発注を依頼し、被告人らが平原に分離発注を提案して、平原に市職員への説明をしてもらったというストーリーを主張をしている。

しかし、検察官の主張は公判廷での立証において完全に崩壊している。

枚方市において本体の発注方法について一括発注か分離発注かという議論が開始されたのは、平成15年2月頃からである。
清掃工場の発注方法については市長の諮問機関である検討会議における議論に委ねられていたところ、第10回検討会議まではプラント(炉)の焼却方式について議論が進められ、第11回検討会議 (平成15年1月29日)において焼却方式について報告書がとりまとめられている。
第11回においては入札方式についても議論されているが、一括発注か分離発注かという議論は未だなされていない。
第12回検討会議 (平成15年2月28日)において初めて一括か分離かの議論が出てきている (第12回議事録5頁)。

したがって、森井証言を前提にすれば、森井が被告人に分離発注を依頼した時期は、平成15年2月以後のことになる (実際にはそのような依頼は存在しないのではあるが)。森井も、分離発注を依頼した時期について明確に記憶していないものの、平成15年の初めころだったと供述している (森井5回・23頁)。

また、衣笠も、本体の分離に関する資料を持って行ったのが、枚方市内部において一括発注か分離発注かの議論になっている時期だったと証言しており(衣笠37頁〜)、平成15年2月以降に本体の分離に関する資料を持って行ったとの事実関係と符合する。
この時点で、平成14年秋ころに、森井が被告人に分離発注を依頼したとの検察官のストーリーは崩壊している。

他方で、平原は、平成14年秋ころに、清掃工場に関する岡市の談合情報について被告人らと話し合い、その頃に市職員へ分離発注について説明をしたと供述している (分離発注を平原から言い出したのか、被告人らから言い出したのかについては争いはあるものの、時期的には平成14年秋から末ころの出来事ということで一致している)。

この点、当時助役であった堀家も、平成15年5月9日に平原と面会したが、以前に平原から分離発注についての説明を受けたことを用い出して再度確認をしてみようと思って平原に来てもらった旨を証言している。

この堀家の証言により、平成15年5月以前において平原から堀家ら市職員への分離発注に関する説明が行われていることが明らかであり、その時期も平成14年中であると考えて矛盾しない。

このことは、平成15年2月14日付けの森井メモの記載を見ても明らかである。
すなわち、同メモには、「平原は分離を言っている」との森井の筆跡による記載があるが、まるで他人事のような記載である。
もし仮に、森井が被告人に対して事前に依頼していたのであれば、「打合せのとおり」等と記載されているのが自然である。
しかし、その記載内容からは、森井が、単に被告人が述べた言葉を記載しただけと見るのが自然であり、この時点で森井は被告人に対して分離発注の依頼をしていないことが裏付けられる。

以上から考えて、森井が被告人に分離発注を依頼したとされる時期よりも早くに、平原と被告人らとの間で分離発注に関する話し合いがもたれ、平原から市職員へ分離発注に関する説明がなされていることは明らかである。
結局、本体の分離発注に関する、森井→被告人→平原→市職員という検察官のストーリーは、時期的に整合せず、検察官はかかる主張についての立証はできていない。

ウ 本体の分離に関するやりとリの実体

平原と被告人らとの間で、本体の分離発注に関するやりとりがあったこと自体は争わない。

しかし、平原が証言するように被告人らが平原に分離発注の提案を行ってきたのではない。
この点、平原の証言は、森井が被告人に分離発注を提案したため分離発注に関する知識を被告人らが事前に得ていたという検察官のストーリーを前提に組み立てられている。

しかし、被告人には当初から分離発注など頭になく、知識もなかったのである。
かかる被告人から、平原に対して分離発注を持ちかける可能性など存在しないのである。

実際には本体の分離に関しては、平原が被告人らに対して、炉のメ一力一(川崎重工)と大成建設がつながっているとの本件工事に関する岡市の談合情報を持ち込み、それに対する対処方法を被告人及び中司が平原に尋ねる中で分離発注という提案が平原から持ち上がってきたのである(この点は、中司及び被告人の供述が一致しており、そのやりとりも非常に具体的なものであり、特に信用できる)。その過程に森井は全く関係していない。

そして、被告人及び中司は、分離発注の決定過程に何らの影響力も及ぼしていない。
枚方市の担当職員らも、本体の一括と分離については、検討会議の藤原座長を中心に検討会議において議論が進められていったこと、当時はプラントの談合が騒がれており伊丹らがゼネコン頭の方式を提案したこともあるなど積極的に談合防止策を提案していたこと、被告人がその過程に何ら関与していないことなどを証言している (塩月、伊丹、堀家証言)。

4 設計の分離

設計の分離については、森井の証言の信用性のところで既述したとおり、森井から被告人に対して設計の分離の依頼があったとの森井の証言については、当時の被告人の体調などから考えて到底信用できるものではない。

なお、衣笠が、設計の分離に関して資料を森井と一緒に被告人のところに持参した旨を証言している (衣笠10頁)。
しかし、その証言の趣旨からすれば、平成15年10月20日に森井が被告人宅を訪れ、後日、衣笠が森井とともに被告人宅を訪れたことになるが、森井の手帳にも平成15年10月20日以降に被告人と面会したかのような記録は存在せず (検察官もそのような記録を証拠として提示していない)、そのときの被告人の様子について元気そうだったなどと(衣笠43頁)、被告人の当時の体調と明確に矛盾する証言をしており、衣笠の証言は信用することはできない。
本体の分離に関する資料を提供した場面と混同しているのではないかと思われる。

5 予定価格等の聞き出しについて

第1回目の公告直前の平成17年7月19日、平原は、小堀副市長を訪間している。
平原は、この訪問について、被告人からの依頼を受け、大林組のために入札の予定価格や経営事項審査点数を聞きだそうとしたものであるかのように証言した。

確かに、この日、平原が小堀副市長を訪問したことは事実と思われるが、それは決して被告人の依頼によるものではない。

すでに詳述したとおり、大林組からの賄賂を期待していた平原自身の動機・下心に基づいて、情報収集を試みたのである。

現に、森井手帳及び小堀手帳によれば、平原は6月14日に森井に事前に連絡の上、6月15日に小堀副市長に会った上で、その直後に森井に対し「単体一般競争入札」などの情報を伝えていることが明白である。7月19日の訪問も、このような大林組のための情報収集と軌を一にすることが明らかである。

実際、平原の証言を前提としても、被告人の依頼といいながらその内容は「公告が近づいてきたから詰めてくれ」などという暖昧なものである (平原4回17頁)。
このような暖昧な依頼を、被告人の立場から警察官である平原に対し、できるはずもない。

そもそも、2日後の公告で入札予定価格や経営事項審査点数は公表されるのであって、7月19日の時点で、被告人が平原に依頼をして、わざわざに小堀副市長から情報を得る必要もない (そもそも、予定価格は部長決裁であり(弁67・53頁)小堀の知りうるところではない)。

さらに、平原自身が、7月19日に小堀副市長に接触した直後、その内容を森井に直接報告したことを認めている (平原4回29頁)。
さらに、平原は7月28日に森井と帝国ホテルで面談し、その翌日29日に小堀副市長に電話をしている。
さらに、8月26日に平原は再び森井と会うや、同月30日には再び小堀副市長を訪問した上で、同日森井に電話をしているのである。
その過程の中で、平原は再三にわたり予算の増額を小堀副市長に迫り、その怒りを買っている (平原4回30頁)。
さらに8月20日には、平原が呼びつける形で、中司市長や被告人に対し、予算増額を迫っている。
これらの積極的な行動は、いずれも平原自らの判断によって行われたものである。
決して、被告人の依頼を受けたものではない。実際、このような平原と森井との接触、平原と小堀副市長との接触には、何ら関与していないのである。

確かに、被告人は、同じ時期、平原とは別に森井や小堀副市長と接触した事実はある。しかし、後述するとおり、被告人はその過程で予算増額の圧力など一切行っていない。
この点、徹頭徹尾大林組の意向を受けて行動している平原とは明らかに異なるのである。

6 予算増額について

被告人は、予算ないし予定価格の増額について何ら大林組の便宜を図っていない。

(1)第1回公告の予算ないし予定価格

まず第1回公告の予算ないし予定価格である。

確かに本件工事の当初予算は、約100億円という大枠予算から、先に発注された炉の契約代金である約60億円を控除した残額約40億円であって、不合理に低額なものであった。
そのことを知った森井は、松山を通じるなどして、再三にわたり、被告人に対し予算増額の可能性について打診してきた事実はある。

しかし、被告人は、これに対し、石本設計にがんぱってもらうしかない、というぱかりで、何一つ便宜など図っていない。
現に、被告人が、予算増額のために市への働きかけなど、何らかの行動を取ったかのような証拠は一切提出されていない。

実際にも、第1回公告まで、予算も予定価格も一切増額されたことはなく、予定価格は39億円代という異常な低額となったのである。
このことからも、被告人が第1回公告までの間に予算増額等について、大林組に対し何らの便宜も図っていないことは明らかである。

(2)第2回公告の予算増額について

これに対し、1回目の入札が不調に終わった後、2回目の公告までに補正予算が組まれ、入札予定価格は増額されている。そして、平原や森井から、2回目の公告に向けて、予算増額を迫られたことも事実である。

しかし、この点についても被告人は何ら働きかけなどしておらず、大林組に対し、一切の便宜を図っていない。

すなわち、1回目の入札が不応札に終わった直後、枚方市職員らは、不応札の原因が入札予定価格が低額にすぎたことにあると判断し、予定価格の見直しに入ったのである。

そして、追加工事として予定していた工事を、当初工事に前倒しすることによって、工事代金を増加させ、それに合わせて補正予算を組むこととしたのである (予算増額について、絹川は平成17年8月20日よりも前の財政課との折衝の際に18億円の増額の方針が決められたと証言する (絹川 117頁)。

これらの見直しは、枚方市職員らだけの判断でなされており、当然のことながら被告人は全く関与していない。
そもそも被告人は、追加工事を前倒しするというからくり自体を全く知らなかった。

このため、被告人は、森井からの要望にも、平原からの圧力に対しても、予算増額は無理だとして、一切の協力を拒否し、現に何の協力もしなかったのである。

その結果、8月20日の中司市長を交えた会合では、あくまで予算増額を求める平原と、これを拒否する中司市長、被告人との間で険悪な雰囲気となったほどであった。

いずれにしても、被告人は、予算増額について、大林組のために何らの便宜も図っていない。

7 談合罪の成立について

被告人が、入札前の段階において大林組が落札することを知っていたことは否定しないが (他方で、大林組と浅沼組のJVで落札することは、落札されるまで知らなかったのである)、以上見たように、本件工事について談合の共謀と評価されるような具体的行為を行っていない。

また、本件においては、1回目の入札においても2回目の入札においても明らかに業者において利益の出ない工事である。
市の職員らは、当初プラント業者十数社に見積もりを取ったところ100億を超える金額であったこと(伊丹13頁、その最低額は135億円であった (塩月26頁)事を証言している。

しかし、直近に京都の城南衛生管理組合の工事例においてかなり低額な入札がされたという事例があり、それとの対比からかなり厳しい金額だが100億円の予算が組まれることとなったのである (伊丹13頁〜)。
このような異常に低い予算組みのために建屋の1回目の入札が不調に終わらざるを得なくなり、2回目の入札に向けてぎりぎりの予算増額をせざるを得なかったのである。
淺沼組の芦田も、結果的に、市の積算が異常に低額であり、淺沼組としても利益が一般管理費 (ランニングコスト)の最低限である5%も出ないような工事であったことを証言している。

すなわち、芦田証言によれば、淺沼組として一般管理費は通常7.5〜8%を目標にし、少なくとも5%確保しないと赤字である (芦田26頁)。
税抜き約55億の本件工事の場合、少なくとも大林組と淺沼組合わせて2億7500万円の利益を確保しないと実質的には赤字だったのである (同50頁)。
実際、淺沼組は6%の利益確保を目標としていたようである。

しかし、大林組と淺沼組の利益配分についての交渉は、熾烈を極め、最終的には3.6%以上を 「目指す」ということにとどまった (芦田49頁)。
そして、実際に淺沼組に配分されたのは、9600〜9700万円であるという(同25頁)。

淺沼組の取り分は4割であるから、両社の利益は合わせてせいぜい2億4000万円余りである。
これは、最低限とされる5%も確保できていなかったことを意味する。
これは、本件の入札価格が、実質的にみて公正な価格以下であったからに他ならない。

実際、本件入札は、公正な価格を無視して、はじめに予算ありきの算定がなされていたのである。
この点、本件では、実質的に公正な価格は害されていないし、談合罪の要件としての公正な価格を害する目的は認められないのである。

8 3000万円受領の趣旨について

以上のとおり、被告人は、大林組からの要望にもかかわらず、便宜らしい便宜を図っていない。

確かに、議会資料を大林組に提供したことは事実である。
しかし、それらはすべて公開資料であって、被告人を通じなくても入手可能である。
もとより議会資料の提供は、市会議員の公務とも言えない。これが3000万円という金額に見合わないこともまた明らかである。

検察官が、便宜であるとする市議会での賛成議決について、少なくとも被告人には、大林組のために便宜を図るものであるなどという意識はなかった。
そもそも、承認が確実な議決への賛成が、3000万円の対価であるとの公訴事実は、それ自体として不自然である。

確かに、3000万円は大林組が本件工事を受注したことに対応するものであることは否定できない。
しかし、それはいわぱ本件工事受注の仲介手数料的な意味合いが強い。
不動産取引や請負工事において、契約の成立に関連した者に仲介手数料的な意味で金銭が交付されることは、実務において決して珍しいことではない。

しかし、他方で市議会議員にすぎない被告人は、市長など行政の長とは異なり、契約権限や仲介権限があるわけではない。
被告人のしたことは、平原の紹介等、あくまで事実上の仲介であって、市会議員の職務とは言えない。

そもそも職務が限られている議員については、収賄罪における職務関連性を問うことは難しい。
議員は、その立場上、様々な斡旋をすることは多いが、このような斡旋は直ちに公務とは言えないのである。
この点は、議員について斡旋収賄罪(刑法196条の4)が設けられた経緯からも明らかである。
3000万円は、市議会議員であった被告人の職務とは関連性が認められないのである。

大林組から3000万円を受領したことは、政治家として非難されることは当然である。
しかし、被告人の職務との関連性が認められない以上、収賄罪は成立しないのである。


第6 情状

1 犯情

被告人の行為が、仮に法的に談合、あるいは、収賄にあたると認定されたとしても、上記第1〜4までで述べたように、被告人は、大林組のために便宜を図ってなどいない。
被告人は、岡市議員の暗躍による談合を阻止して、あくまで枚方市を改革しようとしていたのである。

被告人は、本件工事について、大林組のために分離発注を進めたことはない。
設計の分離を進めようとしたことなどない。
入札予定価格を事前に聞いたこともない。
もちろん、大林組に伝えたこともない。
2回目の入札に向けて予定価格を上げるために何もしていない。

確かに、被告人は、大林組のために議会資料を提供していた。しかし、その資料はあくまで公開のものであって、誰でも手に入れることができるものであった。
また、被告人は、本件工事契約についての議決に賛成した。しかし、それは、あくまで党議拘束があったからであって、大林組のためではない。実際、(ありえないことであるが)被告人が、賛成しなかったとしても議決は可決されたであろう。
被告人は、大林組に便宜を図る目的などなかったのである。

被告人が、3000万円を受け取った理由は、主として、三起産業株式会社(以下、「三起産業」という。)が倒産したためであった。

被告人は、平成7年に枚方市議会議員にトップ当選した。
その後、平成11年に2位で当選、平成15年には3位で当選した (三宅証言、被告人)。
被告人は、枚方市議会議員として、災害時も含めた市民と市側の協働を訴えてきた(弁37,38)。また、枚方市の医療面では、終末期医療等について、公的医療の今後の役割なども訴えてきた。
教育の点では、先生方と生徒の信頼関係を戻す教育現場になるように、市議会で多くの提案や質問などをしできた。枚方市の国際化の点では、枚方市の国際交流協会と教育委員会の連携により、小学校での英語教育に尽力した (被告人質問)。

しかし、被告人には、平成14年、三起産業の倒産により、多額の請求が来るようになった。
被告人は、枚方市議会議員になる以前に三起産業の代表取締役であったため、辞任してからも債務保証を続けざるをえなかったからである。
被告人は、この三起産業の保証債務以外に、自らが作った借金などはほとんどなかった。そして、被告人は、議員歳費の差押、さらに、自宅や事務所等の差押も受けた。
そして、平成18年12月には自宅や事務所を売却したが、それでもまだ債務は残っている。

そのように債務の返済に頭を痛めていた平成16から17年ころ、被告人に、先輩議員から大阪府議会議員にならないかという誘いがあった。但し、選挙資金としては5000万円程度かかるという話であった。
被告人は、返済に苦しんでいる上、先輩からの大阪府議会議員への誘いを受けて、悩んでいた。悩み抜いた末、債務返済と選挙資金のために、3000万円を受け取ってしまったのである。

しかし、選挙資金のためだけであれば、被告人は、3000万円も受け取るはずはなかった。借金も返済しなければならないという二重の苦しみがあったからこそ、3000万円を受け取ったのである。

被告人は、私腹を肥やすために3000万円を受け取ったわけではないのである。

2 被告人の反省について

被告人は、捜査段階から一貫して3000万円の収受について認めてきた。
そして、被告人は、公判廷でも反省の弁を述べている。

被告人は、保釈後、大阪府議会議員の職を辞した。辞職前、議員報酬としては、月70〜80万円を受け取っていた。しかし、辞職後は、ラーメン店の店員として、(交通費を含めても)月5〜10万円程度の収入しかない。
被告人は、後援会会長をつとめる亀岡育男の支援の下、家族とともに倹約の日々を送っている(亀岡育男証言、被告人質問)。
枚方市議会議員、あるいは大阪府議会議員の際は、4人の子どもたちの学費や生活費を負担していた。しかし、辞職後は、子どもたちの学費を支払うことも難しくなった。
被告人は、家族に対して、本件事件により迷惑をかけていることについて、うまく言葉にできないほどの申し訳なさを感じている。

3 贖罪(しょくざい)寄付について

被告人は、大阪府議会議員を辞職後、しぱらくは無職であった。平成20年1月以降も、月5〜10万円程度の収入しかないが、そこから、50万円を貯金した (弁43)。その上で、枚方市のNPO法人りりあんに贖罪寄付を行った。
NPO法人りりあんは、杖方市において子育てやDVに悩む女性のための相談活動などを行っている (弁80)。
確かに、寄付の額は、被告人が、受け取った額と比べれば、些少ではある。しかし、被告人は、受け取った金銭を借金返済に使ってしまった。現在、できる限り、生活を切り詰めて貯めることができたのが、上記の額なのである。

4 再犯可能性について

被告人は、妻と中学生、小学生の子どもがいる。妻は、ガンに罹患したことがあり、現在も通院治療を継続中である。そして、妻は、本公判廷で管理監督を申し出た (初田カレンジュリア証言)。
万一、仮に、被告人が実刑となれば、被告人の家族も大黒柱を失うこととなる(初田カレンジュリア証言、被告人)。そうなれば、経済的にはもちろん、子供らの精神面にも多大な悪影響がある。
また、被告人には、成人後も独立するまで学費や生活費を払ってきた、先妻との間の子どもが2人いる。

さらに、後援会会長の亀岡育男、後援会会員である三宅博が本公判廷において被告人の監督を申し出ている (亀岡育男証言、三宅博証言)。
また、上記証人を含めて、多数の嘆願書が本公判廷に提出されている (弁23〜36、41、42)。現在、被告人は、枚方市民の地域行事や小学校の祭りなどには、地域住民の了解を得て、参加している (被告人)。
被告人は、そのような家族や支援者を裏切って、再犯に及ぶことはない。また、被告人は、大阪府議会議員を辞職していることから、実際に同種再犯に及ぶことは不可能である。
このように大きな社会的制裁を受けた被告人に再犯可能性はない。

5 その他、前科,身体拘束

被告人には、前科はない。

そして、平成19年6月4日に逮捕されてから同年7月17日までの44日間、拘置所において身体拘東を受けた。
そして、山本検察官の取調べによってたいへんな肉体的・精神的苦痛を味わったのである。実際に、保釈後、被告人は、2〜3週間、入院をしていた。
被告人は、上記身体拘束によりすでに事実上の処罰を受けたのである。

6 まとめ

裁判所におかれては、以上のような諸情状を十分に勘酌され、被告人には、執行猶予付きの寛大な判決を求める次第である。

以上。



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